2015年2月20日金曜日
コーヒーに大宇宙を見る猿はさすがに希有壮大だ
自然淘汰は良いものを選び出すのではなく、悪いものを摘み取る作用だということになる。つまり良いものなどどこにもない。ダーウィン進化論が根本から変わる!!
∧∧
(‥ )...だそうです
\−
(‥ )ああそれは
安定化淘汰の話だよな
遺伝子は同じ機能を果たすものでも構造が少しずつ違う。つまり変異がある。変異をイ、ロ、ハ、とする
そして条件Aにおける相対評価で
イは100
ロは80
ハは60
であったとする
∧∧
( ‥)ここから淘汰が
スタートしました
数世代後どうなって
いるでしょうか?
(‥ )全部がイだけに
なっているよね
もちろん、これは外見だけの話である。大部分はイだけになっているだろうが、メンデル遺伝によってロもハも隠されて、数こそ少ないが存在しているだろう。そして、変異で新たに生じるにしても、あるいはホモ接合で発現するにしても、ロやハはぽつぽつと現れるだろう。
∧∧
(‥ )でも不利だから
\− やがて消えてしまう
(‥ )相対評価でイが
最高点をたたき出す限り
これは変わらない
これが安定化淘汰。つまり最高点がすでに決定したので、そこから外れる変異がすべて負けて消えてしまう状態。
これを踏まえて先の文章、つまり
”自然淘汰は良いものを選び出すのではなく悪いものを摘み取るだけだ、良いものなどどこにもないのである”
を読み直せば、その内容が破綻していること、容易に分かる。
不利なものが摘み取られている時点で、有利なものが選ばれているのだ。
そもそも、悪いものが排除されているのなら良いものはない、この主張が間違っているのである。だって、この論法が正しいのなら、不良品をはじくだけなのだから、この工場の製品に良いものはない、そういうことになってしまうだろう。
もちろんこれは間違いだ。
∧∧
(‥ )そして安定化淘汰を最初に
\− 言い出した人って
ダーウィンさんなんだよね
(‥ )淘汰のせいで
ある一定の形から
出ることが
できない生物がいる
そういうことを進化の
論証に使ったからな
例えば”生きている化石”がそうであった。生きている化石という言葉を発明したのはダーウィンであって、彼は生きている化石を自然淘汰の論証に使った。なぜかというに、生物が変化しないなど本来あり得ないからである。
生物には次々に変異が生じてくる。つまり、生物とは本来、固定された存在ではないのだ。水のように一定の形を自力ではとどめることが出来ない存在。それが生物である。しかるに長い地質学的な時間において変化しない種族がいる。それはつまり、何らかの力、つまり淘汰圧によって、その生物が閉じ込められていることを示す。それは自然淘汰の存在を論証するであろう。
∧∧
(‥ )そしていざ状況が変われば
\− すべてが変わる
(‥ )状況はAからBになった
そうしたら相対評価は
イが80
ロが70
ハが100になった
そうなれば淘汰はハを選び出す方向へ動き出す。それだけの話。
それにしても思うに、人は進化論に様々なものを見いだす。
自然淘汰と聞けば優秀な人間が正しいのだ、種族を劣化させる弱者を排除するのは社会の義務だ、俺の使命だと勘違いする。彼の自然淘汰は実際には自分の主観である。
あるいは、状況によって淘汰も有利不利も変わると聞けば、じゃあ弱者保護は遺伝的多様性を残すために遺伝子が命じた種族の特性なんだね? 今度は優生主義者と真逆で、しかし似たような暴力的な道徳へと昇華させる。ファシズムを嫌っている人間が道徳的で善意に満ちたファシストになる瞬間だ。ミイラ取りがミイラになった。
あるいは安定化淘汰を見れば、悪いものをはじいているだけではないか、良いものなどどこにもないのだ、自然淘汰は間違いなのだと有頂天になる
まるでコーヒーのしぼりかすに宇宙と運命を見るコーヒー占いのように、人は進化論から勝手に色々な意味を汲み取り、そこに暴力や道徳や使命感や、あるいはありもしない破綻を見つけ出す。
∧∧
( ‥)さすが宗教を信じる猿
(‥ )すげえだろ?
どんなくだらない
ことからでも
勝手に霊感を得るのだよ
これが我々人類の力だよ
ああ、ただし、残念ながら僕らが受ける霊感のほとんどはスカだ。
それは、誰もが経験的に知っていることであろう。