2015年1月20日火曜日
原作をアレンジして名作にするというのは邪道というか無謀
未来少年コナンには原作がある。邦題「残された人々」
敵国上空に張られたバリアーを打ち破るために超磁力兵器が飛び交った大戦争。地殻変動で大地はめちゃめちゃになり取り残された小さな島、そこで暮らすのは少年コナン。彼は原作では戦前の生まれである。彼は大戦後、たった一人で生き抜いてきたのであった。
∧∧
(‥ )そこに来るのは原作通り
\‐ モンスリーさんだっけ?
でもただのおばさんだよね
(‥ )主要なキャラはそれなりに
同じなんだ
ヒロインであるラナも
後から出てくるし
偏屈な老人を装うラオ博士
インダストリアの有力者で
侵略者の尖兵である
横柄な男ダイス船長も
登場するけども
共通点はそのぐらいかな
アニメだとハイハーバーを征服したモンスリーたちの部隊が無力化されてしまう津波の襲来があるが、原作ではあの時点でインダストリアは完全に消滅してしまう。当然、話はそれで終わりだ。そうである以上、世界を滅ぼした巨大爆撃機、その最後の一機であるギガントの登場と離陸はないし、当然、ギガントに侵入し、これを素手で破壊するコナン、ジムシー、ダイス船長、三バカトリオによる大乱戦も無い。
というかあの三人、原作において別に仲は良くない。まがいなりにも最後はコナンの方についたモンスリーと違って、ダイス船長は最後まで敵であった。
さらに言えば、モンスリーはコナン狙いのショタコンじゃないし、ダイス船長もラナちゃん狙いのロリコンではない。どっちも普通のおばさん、おじさんである。
∧∧
(‥ )未来少年コナンって
\‐ それを考えると
トンデモ魔改造だよね
(‥ )思うのだけどさ
魔改造と
パクリと
どっちが難しいの
だろうな?
NHKのアニメというと、「太陽の子エステバン」というものがあった。少年エステバンが古代文明の遺産である飛行機械、大コンドルを操縦するトンデモ話だったはずだけども
∧∧
( ‥)あれも原作魔改造だよね
(‥ )「黄金の七つの都市」
西欧が新世界を
征服して
黄金伝説が飛び交い
先住民に
略奪をしかけている時代の
話だから
内容が暗いのだよね
うろ覚えだけども、そもそも冒頭、主人公エステバンが逮捕されて裁判にかけられるところから話が始まる。彼は地図を作る職人なんだけども、発見された黄金を当局に報告しないまま着服し、隠したのではないかと疑われているのだ。
当局の見解はかなり正しい。だがエステバンの回想で進む現実の出来事はひどい話であった。黄金をめぐって略奪、謀略、殺し合い、裏切り、失望、別離、そして仲間の病死、ここに至って彼は熱湯の吹き出る温泉に黄金を捨てたのだ。
∧∧
(‥ )最後、ヒロインが
\‐ 刑期が終わって釈放されたら
また会いにくる
そう言って去っていく話
でしたっけね
(‥ )アニメは原作の面影を
ほとんど残していない
魔改造ぶりだな
結果から言うと
ほぼ無名の作品だが
思うのだけども、パクリよりも魔改造の方が難しいのじゃなかろうか?
∧∧
( ‥)アイデアをパクる
原作をアレンジする
どちらの方が
成功しやすいか、ですか
(‥ )パクるのは
売れたものをパクるわけで
パクった以上は
売れる要素が
すでに含まれている
つまり原理的に
パクった方が楽だよね
だが、原作付きはそうではないだろう。
確かに売れた原作をアニメ化するとか、そういうこともある。しかしそれはある意味100%のパクリというべきだ。この場合、アレンジを加えることもあるが、それは漫画とアニメの表現形式なり制限が違うから変えるに過ぎない。
∧∧
(‥ )そして以上の魔改造の事例で
\‐ その原作は売れた原作なのか?
というと疑問符が
つくからね
(‥ )事実として
あれらの原作は無名だろ?
だったらこれはもう
個人の才能の勝負だよ
それを考えるとさ
天才が去った後の
ジブリが
原作付きのマーニーで
こけたってのは
暗示的だよね
実際、あの「残された人々」を「未来少年コナン」に変えてしまうという能力は、尋常ではない。
その、尋常ではない人と同じやり方で組織を維持するだけのヒット作を作って金を稼ごうというのは無謀に思える。
∧∧
(‥ )こういう風にさ
\‐ あなたのような部外者が
まるで見てきたかのように
物事を論評するのは
すごく間抜けに
聞こえるものなんだけどね
(‥ )でもなあ
「残された人々」と
「未来少年コナン」を
見比べると
あのアレンジぶりには
ちょっと
畏怖してしまうのでな
これをあれにするか?? という技術を越えた異様な才。考えてみれば魔改造の才というのはちょっと再現が難しいものだろう。技術だけではどうにもならぬ。才とは脳の神経が織りなす回路なり。なれば才とは尋常ならざる回路ということになろう。そして、神経の構造は努力や訓練では身に付かぬ。
それを踏まえると、原作付き、アレンジ、魔改造でヒットを量産しようというのは無謀極まりないと考えるべき。
再現できないものは再現できぬ。
再現するには再現可能なものを再現対象に選ぶべき。
∧∧
( ‥)つまり
組織はやはりパクるべきである
(‥ )天才ではない人のために
神はパクるという選択肢を
この世に
お造りになられたのだ
これはhilihiliのhilihili: 組織はパクるべし、という神託の続き
ところで
∧∧
(‥ )あなたは何をパクリます?
\‐
(‥ )それはちょっと
考えどころだな
この業界のヒット作は
「癌は切らずに直ります」
とか
内容が嘘ものだと
相場が決まっていてな
嘘はね、分かりやすいだろうけど、やっぱ嘘なんだよね。
皆の望んだ嘘こそが、皆の望む商品なんだけどね、やっぱ嘘は嘘なんだよね。
というかだ。嘘が持つ最大の欠点はつまらん、ということだ。
つまらないものをパクっても、それは単に苦痛なだけである。
∧∧
(‥ )そういえばあなた
\‐ 痛いことは嫌いだよね
(‥ )ゾウリムシと同じでな
嫌いな刺激に対して
負の走行性を
持っているのだ
人間、体の設計からは自由にはなれん。
∧∧
( ‥)嘘でないヒット作だと
あれだよね
理解の形式を根底から
変えるようなものが
売れるよね
( ‥)そんなの
‐□ 普通の人間には
真似出来ないし
独自すぎて
パクれないんだよね
どうしたものかねえ