2014年12月21日日曜日
確かに詩はごまかしから生まれてくる
先日見たこんな話
賭け事の好きな詩人がいた。全体で見れば負けが多くなるでしょうに、そう人に問われた時。それがなんだというのですか? あなたの人生は平均したら笑っていますか? 泣いていますか?
∧∧
(‥ )そう答えた....
\‐ 本当ですかね?
(‥ )さあねえ
でも、確かにこういう返答をする人間がいること、それ自体は確かだ。そしてそういう人間は多い。
賭け事の仕組みとは損をするように出来ているものでしょう?
この問いに対して
笑っている方が多いか泣いている方が多いか?
こういう認識論で返答をはぐらかす人。
∧∧
(‥ )実際のところ
\‐ 答えは単純でしょうね
笑っている方が原則的に
多くなるはず
(‥ )笑いは肉体の黒字を示す
泣くは肉体の赤字を示す
そのように考えた場合
平均して赤字になる人間は
死んでいるか
死にかけか
どっちかだからな
泣いている方が多くなる人間は死ぬことで集団から取り除かれる。そうである以上、生きている人間を観察した場合、笑っている方が多くなる。
∧∧
( ‥)人生も賭場もそこは同じ
( ‥)違いがあるとしたら
‐□ 賭場は主催者の儲けに
なるように
調整されている
そうである以上
客は負けが多くなる
そこだよね
∧∧
(‥ )そもそも冒頭の
\‐ 平均すれば負けているでしょ?
という指摘は
そのことを言ったもの
でしょうね
(‥ )それを
笑っていますか?
泣いていますか?
そう詩的に返したところは
さすがだけども
答えになってないよな
例えば別の人が曰く、詩とはごまかしから生まれてくると。
確かにそうなのだろう。詩とは認識論だ。そして認識とはあくまでも情報処理の過程で生まれたもので、現実ではない。
認識は現実に屈服させられる存在である。
∧∧
( ‥)でもその現実を認識するのもまた
認識である
(‥ )現実に負けると分かった時
認識をカットして
現実を遮断し
くさいものに
蓋をするのだな
それが詩だ
確かに、詩がごまかしであるというのは正しい。