2014年12月23日火曜日
科学の本と言えども、それはラノベと同様である
∧∧
( ‥)レストランへいったら
人は好きなものを
注文する
( ‥)本もまた同じであろうな
‐□
人は望むものを注文するのである。
これは科学の本でも同じこと。
∧∧
(‥ )つまり科学の本といえども
\‐ お客が本に期待するのは
自分に都合の良いお話である
(‥ )そういう意味では
科学をテーマにした本も
ご都合主義に書かれた
ラノベと同じなんだよ
実際、ぱっとしない主人公がぱっとしないまま、何の面白みもない学園生活をただ送り、延々と受験勉強の話が続く。そんな本を読みたい人がいるであろうか?
∧∧
(‥ )いるにしてあれだよね
\‐ こんな面白みのない本を
読める俺すげーという
自慢に使われるだけだよね
(‥ )文学がそういうものだ
まあ
電話帳を読む人もいるし
図書館の十進法分類を
読んで
へーって思う事も
あるから
純粋に楽しくて読む
変わり者も
いるだろうけどね
話を戻せば、科学の本といえども、消費者に向けて書く以上、内容はご都合主義になる。嘘っぽくなる。
というか、嘘になる。
皆が本に求めているのは自分が今欲しい話なのだ。これはレストランで好きなものを注文することと同じである。別に誰も本当のことを知りたいわけではないし、詳しく知りたいわけでもない。
∧∧
(‥ )詳しく知りたいって
\‐ 口では言うのですけどね
(‥ )そんなの嘘っぱちだよ
本当に詳しいことを知りたいのなら論文を読むなり、教科書を読むなりして検討するのである。教科書を読んでいない以上、いくら口先で”詳しく知りたい”と言っても、そんなものは嘘っぱちだ。あまりにもあからさまではないか。
∧∧
(‥ )僕は分かりやすく説明して
\‐ 欲しいんだよ
そう叫ぶ人もいますけどね
(‥ )ほら
自分に都合の良い話を
求めてきた
分かりやすく説明して欲しいんだよ。
これはいかにももっともらしいが、妄言でしかない。
それは自分でも分かる現実がこの世界にある、という期待を申し述べたことに他ならない。
それは自分にとって受け入れやすい現実があるに違いない、という主張であり、こういのを妄言と呼ぶのだ。
俺様でも分かるように説明できるはずだ。これは、”なんの才能も無い俺様だけど、それでも美女にもてたいし、そうなるべきである”、そう主張するのと何も変わらない。
もちろん、書き手はそれに応じるのである。なんと言っても商売なのだから、これは当然。
∧∧
( ‥)かくして本は嘘だらけに
なってしまうのであると
( ‥)それは皆が求めた
‐□ ことなのだ
自業自得よ
つまり、科学のことを取り上げた本と言えども、それはラノベと変らないご都合主義なのだ。というか、ラノベよりもひどいのである。ラノベは、これは現実です、なんて言ったりしないが、科学の本は平気な顔をして嘘を書いて、これが現実です、と言うのだ。
それもこれも、客が求めたからに他ならない。実際、今西錦司やグールドのような著作が売れた理由は、そうでないと説明できないだろう。
言い換えればである。読者を苦しめる本こそが正しい本だということになる。
なれば現実の門を開いて、地獄を顕現させねばならぬ。
誰もが見たくも聞きたくもない、現実という地獄で世界を沈めねばならぬ。