2014年12月17日水曜日
自由主義者はファシズムを望む
例えば、なぜ江戸幕府はファシズム体制にならなかったのか?
∧∧
( ‥)ならなかった理由を
色々と数え上げることは
誰でもできる
( ‥)”徳川政権はー
‐□ 天皇家から征夷大将軍というー
地位や大政をー
よって原理的にー”
そう知識をひけらかすことは
可能なのだ
だが、そうではなく、
日本という統一国家全体のために奉仕せよ、その奉仕には国家のために命も捨てる覚悟すら要求される
そういう意思統一が、徳川政権下において奨励され、メディアによって押し進められなかったのはなぜなのか?
そこが問われる。
∧∧
(‥ )それが必要とされる
\‐ 状況ではなかったからである
答えは単純でしょうねえ
(‥ )逆に言うと
圧倒的な軍事力を持つ
西欧列強の進出を前に
工業化の遅れた国家である
日本がファシズムと
呼ばれる方向へ
動き出すのは必然だ
なぜならそれが
必要とされたからだ
戦争など本当はしたくない一般大衆を動員して、銃剣を並べて突撃させないと勝てない時代である。
当たり前の話だけども、一般人を戦列に並べるのは、容易なことではない。
そのためには色々な方法でとにかく人間を焚き付けねばならぬ。あるいは強制せねばならぬ。色々な国家がその立ち位置から色々な方法を試した。愛国心に訴え、あるいは、宗教と専制君主の王朝を倒した後に成立したのは個人崇拝の独裁国家で、それゆえに、スターリンへの敬愛と機関銃による脅しで突撃させる。
∧∧
( ‥)結果は似たり寄ったり
どこでもなんでもいつでも
その時々に必要な形態を
必然的に取るだけである
そこに自由意志が介在する
余地はほとんどない
(‥ )その時、取る形態は
直近の過去に採用していた
古い形式から変形したもの
だから
各国それぞれ個性があるが
必然にそっているので
到達点は
似たようなものだよな
言い換えれば、必要性が無い以上、徳川幕府がファシズムに走ったり、あるいは民主国家になることは無かった。
反対に明治維新後の日本がどっちかというと軍国主義の方向へ向かったのも(これを敵国はファシズムとカテゴライズした)、あるいは、敗戦に加えて戦争と兵器の形式が変化するに従って軍事色が薄まったのも、それらはいずれも必然であった。そういうことになる。
∧∧
(‥ )人間の人生も同様
\‐ 何度繰り返しても
似たような結果になるだろう
(‥ )自由意思によるぶれや
確率のぶれは絶えずある
だけども結果は
似たようなものだろうな
皆、必然の理由があってここに来たのであろう?
体力が無かったからここまでだった。
学力が無かったからここまでだった。
あるいは体力はあったからここまではこれた。
学力はあったがそれゆえにここまでであった。
あるいは癌の家系であるからその確率的な運命に制限された。激務が続いて免疫能力が衰えた時、その確率は有意に上昇し、結果を強制してくる。
皆、必然の要素があるから、これらの要素が制限する人生に閉じ込められたのであろう?
自らの周囲を見回してみれば良い。それらの結果と累積が、身の回りの”この有り様”ではなかったか?
∧∧
(‥ )それを踏まえてひるがえれば
\‐ 日本は再びファシズムに走る
そう言い立てている人は
(‥ )自分の人生は自由意志で
自在に
作り替えることができる
無邪気にも
そう信じているのだな
それは
徳川政権もその気になれば
ファシズムに走ることが
出来る
そう言い立てることと
同じだろう
当たり前の話だが、そんなことはもちろんない。あらゆる局面において自由意志を介在させることはできるが、当然ながらその影響力はかなり限定的だ。それは自分の人生を見れば分かること。
しかしである。それでもなお、ファシズムがどうしたこうした、そう言い出す。
こうなってくると、今やこれ自体が興味の対象であろう。ままならぬ自分自身の人生の中にあってさえ、自由意志とその結果を過大に見積もるとは、一体どんな心理であろうか?
いくら自由意志があっても出来ない事は出来ない。そういう事例ばかりが累積した人生の中で、それでもなお、自由意志でなんでも出来ると信じる。信じれるから、日本は今からファシズムに走る危険がある。なぜなら世界は意思のままに作り替えることができるからである。なれば、反対にそれを阻止することも意思の力で自在に出来よう。こう信じれる心理とは一体なんであろうか?
∧∧
( ‥)空想癖がある?
精神論者?
あるいは理想論者だけども
現実を受け入れられない?
( ‥)だから空回りするし
‐□ だから周囲から浮くし
だから周辺に対して
攻撃的になる
そういうことかもな
だがしかし、このままでは日本がファシズムに走る走る! あるいは反対に、このたびの政権交代で日本のファシズム化は遠のいた! そんな精神論な空想で一喜一憂するくらいなら、ごくわずかな人間にしか扱えない超兵器を設計した方が良いのではなかろうか?
軍人貴族しか扱えないような超兵器が主流になった世界では、人々を有権者だの国民だのとおだてて戦列に並べる必要はない。そういう世界ならファシズムなんてないだろう。国民を焚き付ける必要がないからである。かように、ファシズムを原理的に抹消することは簡単なことである。そしてそれは自由意志のなせる技ではない。機械技術が実現することなのだ。
∧∧
(‥ )封建制になっちゃうかも
\‐ だけどね
(‥ )困った事にだな
江戸時代を見れば
分かるけど
奢侈禁止とか
封建制の支配者たちも
統制には走るのだよな
これを踏まえて考えるに、ファシズムに走るうんぬんとは、自由という観点からすればどうでも良い話なのだ。なぜかというに、理想主義者はどんな立ち位置であれ、統制に走るからである。そもそも理想主義とはひとつの型に物事をはめようという病的な執着に他ならない。そしてそういうことに執着できるのは、自由意志で世界を自在に作り替えることが可能である、そう信じているからだろう。だからこそ、簡単にファシズムに流れると思うし、そうであるからそれに恐怖できるし、そして統制に走るのだ。
精神の自由を唱える人間こそが、真っ先に統制に走り、熱心に弾圧を行う。
∧∧
( ‥)つまり自由意志なんて
どうでもよい?
(‥ )自由は現実に対して
影響力を行使できない
それどころか
ファシズムを
禁止する自由を追求して
ヘイトスピーチがどうのと
自ら統制に走るからな
自由意志なんて
どうでも良い話よ
必要なのは確率的なぶれだ。つまり自由よりもむしろ混沌であろう。
∧∧
(‥ )でも混沌を引き起こすとは
\‐ 自由を追求するよりも
難しいですよね
(‥ )混沌だけにやり方も
よく分からんしね
∧∧
( ‥)なんか方法は
(‥ )まあそのなんだ
世界と人生を
おちょくってみるとか?