2014年10月7日火曜日
正義の味方
∧∧
( ‥)つまり
( ‥)そうさのう
‐□
戦争は悪である
戦争を実行できる軍隊は悪である
ゆえに自衛隊は悪である
悪の自衛隊と対峙する中国軍は正義の味方である
正義の味方に味方するのは当然である
正義の味方が正義の味方の味方である自分を害するはずがない
敵に協力しても、用が済めばお前らは消されるぞ、と脅かす人がいるが、そんなことはありえない。正義の味方がそんなことをするわけがない。
∧∧
(‥ )まあ、論理的ではあるね
\‐
(‥ )論理ってのは
こんな程度のしろものだが
何かに強烈に固執する人間は
単純な論理に拘泥するものだ
単純でないと固執できんしな
というか、論理というものがそもそも単純なものなのである。実際、論理的な思考には想定外の事は想定されていない。つまり本人の理解の範疇のみで完結しているわけで、論理は必然的に単純となる。単純だから固執できるし、固執できるから固執できる人間が集まる。
∧∧
( ‥)でもこういう行動は
同じ共同体にいる他人からすると
裏切り行為に見える
( ‥)いわゆる売国だな
‐□ もっともこの手の
人たちからすれば
正義の味方である自分に
反対する人間は
悪の組織とその戦闘員だと
認識するからな
つまり売国=正義であり
反対者=悪者なのだ
行動を是正する理由は
ないよね
そして、そうであるべきなのだ。それが論理というものである。
∧∧
(‥ )そういう人たちを
\‐ 仮想敵国の人たちが
利用するのは当然である
(‥ )こっちだって
どこそこの民主活動家を
支援したりするわけだ
こっちからすれば
単純に道徳的な行為だが
向こうからすれば
国内に潜んだテロリストに
外国勢力が援助してるのと
変らんからな
お互い様よな。
その点でいうと、政治家や普通の大衆は、これがどれだけ利益になるか、という銭勘定で動いているのだとも言える。もちろん、政治家と官僚と国民の大多数の意見は一致しないが、それは立場や銭や、そもそも知識や把握の量が違うからだ。
時々、おかしな連中が混ざるのはどこでも同じだが、現実主義者である、という点では全員同じだ。政治家は信念の徒であるからおかしなのが混ざりやすいとはいえ、反対に支出と必要な予算という、いやな現実を目の当たりにするのも彼らである。
どこでも大部分の人々は金と利益で動くし、それはまっとうなことであるし、バランスがとれている。
∧∧
(‥ )違うのは一部の人々
\‐ だけなのである、と
(‥ )自分が正義の味方であると
心の底から信じれる人間は
そう多くはないからねえ
それは
歪んでいるよねえ
そしてもちろん、正義の味方とは、やっかいごとを引き起こすくせに、その責任を取ろうとしない。なぜって正義の味方が一体どんな過ちを犯すというのか?
しかし、世の中の大部分は正義の味方ではなく現実主義者なんである。
敵も味方も、用が済めばやっかいごとしか引き起こさない正義の味方など迷惑なだけなのだ。良くて軟禁、あるいはすぱっと殺して処分するのが当然。
現実とはそういうものだろう。