2014年10月22日水曜日
ただの好き嫌いを苦労自慢と実力の誇示に書き換える
物足りない
∧∧
( ‥)それは
私はすでに腹八分目である
そういう自己申告だ
( ‥)つまり本を読んで
‐□ これは物足りない
そう得意げに述べた時点で
それがお前の限界点
そこがその人の知能がたどり着けた最北だ。もうそれ以上は一歩たりとも前には進めまい。
∧∧
(‥ )まあ、実際には
\‐ 一歩二歩は前に進めるの
ですけどね
(‥ )そしてそれが
商機なのだ
腕足せ伏せ30回が限界の人間は、20回では物足りないと言うが、だがしかし、25回まで増やされたら悲鳴を上げだす、逃げ出す。
∧∧
( ‥)ならば21回ならどうか?
(‥ )21回なら
本人の自尊心も
満足させられるし
負担自慢もできる
20回では物足りない。そんな俺様がなんと21回までやりましたよ! こういう自尊心と苦労自慢をくすぐってくれるもの、それが本のあるべき姿。
∧∧
(‥ )人間は苦労自慢が
\‐ 大好きだからね
(‥ )残業自慢は体力の誇示だ
貢ぎ自慢は経済力の誇示だ
そんなもの、奴隷の鎖自慢だろwww とか訳知り顔で笑っている場合ではない。そう得意げに指摘する人を世間の皆がどんな顔で見ているか知ってるかい? よく見てみなよ、負担の誇示は実力の誇示。それもできない負け組が、口先の理屈でなよなよしながら自己正当化しておる、彼らはそうあざけっているじゃないか。
∧∧
( ‥)しかしつまり
こういう苦労自慢を
くすぐれば
売れる本ができる
それが求められている本だ
( ‥)時々思うけども
‐□ 非常にくせの強い小説って
そういうものかもな
例えば非常にくせの強い食品があるとする。食品の場合、それは好きか嫌いか、という話でしかない。
だが、小説でこれをしたらどうなる?
∧∧
(‥ )読める人と読めない人の差が
\‐ 顕著に出るだろうね
(‥ )好き嫌いが出るのだ
だがな
小説だとこの違いは
一見すると
読解力の差に
見えるのだよね
読書とは文化的行為である
そう思われているからな
つまり、単に好き嫌いのはずが、膨大で高尚な文学をたしなみ、その負担に耐える脳を持っている私、という実力の誇示に見える、苦労自慢になる。
∧∧
( ‥)一見するとね
( ‥)読む人を選んで
‐□ なおかつ一部特定の人に
異様に受ける長編小説って
あるよな
そして事実として
彼らは読める自分を
自慢するのだ
ただの好き嫌いを苦労自慢と実力の誇示に書き換える。
あれは、そういう販売戦略だと考えるべきなんだろう。