2014年10月10日金曜日
論理と言いつつ、好き嫌いを前提に語る人
∧∧
( ‥)例えばの話
( ‥)そうねえ
‐□ 以前ぎょっとしたのが...
その男は論理、論理と言っていたし、調べることよりも考えることを優先していた。なぜなら、
考えれば正しい答えが見つかる
そう信じていたからだ。
ところがその男がある日、ぽろっとこぼした。
僕、この人、好きじゃないんだよね。でも、あの人の意見は好きだな
∧∧
(‥ )論理、論理と言いつつ
\‐ 結局、好き嫌いかよ
(‥ )まあ大前提というのは
時としてそういうもの
なんだけどさ
精神も意識も肉体の影にすぎぬ。精神や心は実体でもないし、主体ですらない。神経細胞とイオン勾配が作る単なる影だ。実在なんかしない。そうである以上、神経の反応で人は思いを申し述べる。それ自体は止むを得ない。
問題はである。
∧∧
( ‥)好き嫌いを大前提にした
論理的な結論って
何よ?
(‥ )好き嫌いを
無矛盾に膨らませた
それだけだろう?
この場合、論理的な帰結の根拠とやらは、やはり好き嫌いだけである。
もちろん、これは説明になっていない。
なぜこれが嫌いだと自分の心は感じるのだろうか?
あるいは心が神経の影でしかない、というのなら、なぜ自分の神経はそのように感じるのであろうか?
それをこそ、説明せねばならぬ。
∧∧
(‥ )説明とはそういうもの
\‐ なのである
(‥ )もっと乾いた
言い方をするとな
説明というものはね
”これはタンポポです”
では失格なのだ
これはこれこれな理由からタンポポであると同定できます、そう理路整然と説明できなければいけない。
これは実のところかなり難しいことである。花の色が黄色いからタンポポだ。これは説明になっていない。なぜなら黄色い花をつけるものはタンポポだけではないし、白いタンポポもあるからである。
この説明は簡単に見えて非常に難しい。
だが、論文とはそういう形式になっているものである。
なぜかというに、説明とはそういうものだからだ。
∧∧
(‥ )そしてここには
\‐ 花が黄色いという
神経の反応に基づいた
説明もあるのだけど
(‥ )それは反射光の波長に
置き換えることが
できる
そこまでする必要が
ないから
黄色ですませているだけだ
少なくとも、
私の好きな花ですからタンポポです
とか
私の直感がこれをタンポポだと告げています。説明はそれで十分でしょう?
などと言っているわけではない。黄色い、という色の指定は好き嫌いよりもずっと具体的なのだとも言える。
端的に言うと好き嫌いとは、黄色いよりもいい加減な言葉であるし、説明ではないのだ。なぜお前の神経はそう反応するのか、別に生化学的に申し述べろとは言わないが、好きです、嫌いです、そう言われて、
はいそうですか、なるほど、説明としてそれで十分ですよね
などと納得するわけにはいかないのだ。
∧∧
( ‥)でも、その人は
論理で説明するべきところで
好き嫌いを申し述べた
あるいは好き嫌いを
大前提にして
論理を組み上げた
(‥ )そういうのはな
ただのごまかしって
言うのだよ
論理とはしばしば
迂遠なごまかしでしか
ないのだ
だから問われる。お前はそのごまかしで一体、これまで何をたばかってきたのか? と。
お前は論理によって何から逃げたのか? 何をごまかしたのか? もしかしたら、自分の無能をただごまかしてきただけではないのか?
それが問われる。
∧∧
(‥ )ピーマンの好き嫌いを
\‐ 申し述べちゃいけない
わけではないんだけどね
(‥ )”私の好き嫌いを
大前提にして語る”
これが駄目なのだ
この時、論理はただの大袈裟なごまかしとなり、ごまかしのための厚化粧となるだろう。では、お前はこんな言葉の厚化粧で一体何から逃げたのか?