2014年9月19日金曜日
複雑でカオスで自己成就できる場は占いになりうるので
hilihiliのhilihili: その返しはまずいと思うの続き
∧∧
(‥ )経済学って理解に必要な
\‐ 学問ではあるのだよね
(‥ )悪貨が良貨を駆逐する
とかな
とはいえ、こういう具体的な事柄から離れて、より広い視点になっていくと、経済学はなんとも、もやーっとした感じになる。これは否めない。
∧∧
(‥ )いわゆる複雑系だから
\‐ ですかね?
(‥ )おまけに当の経済学的な
視点に立って
行動する人々も
経済には含まれているから
経済学の視点自体が
経済の動向に影響を
与えうる
そういうことも
あるだろうしな
こうなると、初期の値がちょっとちがうとまるで違う回答が出てくる、そのように振る舞ったりするのではないか?
∧∧
( ‥)いわゆるカオスだね
(‥ )自分たちの学問分野が
カオスであるとは
認めたくないだろうなあ
こればっかりはどんな学問領域でも同じである。自分たちの研究分野がカオスとして振る舞うと分かったら、研究は無意味であるし、それまでの”成果”もまた無意味になる。カオスとして振る舞うと分かった以上、それまで積み上げた”分かったという成果”は、その全てが単なる幻想になってしまうからだ。全ての仮説は棄却され、業績は蒸発してしまう。
∧∧
(‥ )予言を自己成就させてしまう
\‐ そういう可能性もあるね
(‥ )著名な経済学者が
経済の動向を予言する
その予言を信じた人々が
予言の通りに行動する
そのために予言が成就して
しまうように見える
そういう場合だな
この場合だと経済学者はただの占い師になってしまう。
∧∧
( ‥)そういう可能性があると?
( ‥)そういう条件が整っている
‐□ そう言うべきだろうね
多分、世の中の人の経済学に関する不信感とは概ねこういうことなんだろう。実際、悪貨が良貨を駆逐するとか、そういう事柄を否定する人は聞かないが、経済学者は占い師ではないか? という不信感の方は事実として聞くではないか。
∧∧
(‥ )個々の事実は認めるけど
\‐ 経済全体の動向を占う
経済学者というものには
不信の目を向けるのだと
(‥ )多分、そういうことでは
ないかなあ
まあそのなんだ
”占ってもらいましょう”
なんて言い回しが出てくる
これ自体がそういうことの
反映かもな
聞けば、アメリカの著名な経済学者がアベノミクスに一言言えば、アベノミクスが支持されたと解釈する人が出て、あるいは増税を批判すれば、やはり増税は良くないのだ、と解釈して浮かれる人が出るという。
∧∧
( ‥)これではまるっきり
占い師ではないかと?
( ‥)複雑系、カオス、自己成就
‐□ 経済には占いを成立させる
条件が全部そろって
いるからな
疑うのは当然だよね
それに人間は
宗教を信じる猿なのだ
占い師の存在自体は
必要不可欠でもある
本人がそれを望んでいなくても占い師にさせられてしまうのだから、占い師扱いされること自体はやむなしだ。
だがしかし、そもそも以上のようなコメントは、医者なら普通はしないようなものであることは確かだろう。これもまた、経済学者はやはり医者ではない、そういうことを示している。少なくともその証拠のひとつだ。あるいは隙があると言えば良いのかもしれない。*そもそもメディアからコメントを求められるということ自体、隙があると見なされている証拠でもある。
それに、日本は、いや、日本に限ったことではなく、西欧諸国もアメリカも、さらには中国も韓国もそうだけども、もはや経済が上向きになるということはありえまい。
∧∧
(‥ )それを考えると否定的なことを
\‐ 言っていれば当たるとも
言えるよね
(‥ )少なくともな
こういう条件で
悲観論を述べると
本人の意思がどうあれ
占い師になっちゃうよね
でもなにより、多分問題なのは、経済学者は為政者でも経営者でもない、ということだろうか?
確かに無駄を無くせば税金は下がる。
しかも実現は簡単だ。年金をすべて無くせば良い。
∧∧
( ‥)でもそれができない
( ‥)為政者や指導者は
‐□ それをどうにかしなければ
ならんわけだ
悪手でも
それを行わなければ
駄目なのだよな
実行される政策は経済理論ではなく、必要性に応じたものだ。
∧∧
(‥ )昔の為政者もそう批判されたの
\‐ だろうね
(‥ )ディオクレティアヌス帝
なんかがそうなの
だろうなあ
∧∧
( ‥)ディオクレスさん
最後のキリスト教迫害者だから
後世になって人物像を
ゆがめられたからね
( ‥)それもあるけど
‐□ 増税が人々の不満を
かき立てたみたいだよね
曰く、税金から給与を払われるものが、納税者よりも多くなってしまった!
当たり前の話だが、実際にはそうではなかったそうである。
*「ディオクレティアヌスと四帝統治」文庫クセジュ 白水社 ベルナール・ミレィ 2010 pp90
読んでみると、皇帝が執行した税制は、まあ普通、という感じだろうか? 現代人は当時よりも、ずっと精度の高い税金の元にあることを考えればなおさらそう見える。とはいえ、税金が上がることを喜ぶ人はいないし、ましてや当時の生産力を考えれば負担は今よりも大きくなるはずだ。それに対する不満自体は当然だろう。
∧∧
(‥ )皇帝が4人に増えて
\‐ 軍隊が増えたからだー
という批判もあったのだよね
軍隊は税金から給与を
支払われるしね
(‥ )侵入する敵から
国土を防衛するための
処置なんだがな
そもそも四帝統治とは
そういうものだし
当初は単独統治していた
わけだし
実際、防衛戦争は
役割分担された上で
ずっと継続されてるし
でもそういうのは
口うるさい文化人や
知識人どもは
見てくれないわけだな
言い換えると必然の政策でもたらされた増税は、当然のことながら不満をもたらすし、そうである以上、不満を書き綴った記録は、結局のところ一方的なものだということだ。
実際、蛮族が襲来すればこういう文句それ自体が書き残せなくなるのだが、書き手はそんなことお構い無しに不満だけ書き連ねた。それは当然のことでもあるし、卑小なことでもあるのだろう。
∧∧
(‥ )当時は著述家がそれを
\‐ 書き記し
現在は経済学者が
放談する
(‥ )まあ
本を売る手段としては
うまい手だけどね
不満を持つ人の思いを
代弁し、代筆する
それは物書きの
基本であるからな
考えてみればこれはhilihiliのhilihili: 本という商売には色々なものがございますの続きでもあった。