2014年9月15日月曜日
平和とは戦争なり、戦争は平和なり
敵に征服されないためには軍事力を誇示する必要がある。
すなわち、平和とは戦争なり。
平和は戦争の一種であり、最も成功した戦争が平和である。平和を維持するには2足す2は4であらねばならない。2足す2は5であるなどというのは論外である。
∧∧
(‥ )これが現実世界
\‐
(‥ )1984年の世界は
これとは正反対だ
戦争は無限に継続されると取り決められた。それゆえ敵に征服されることはありえない。もはや我々は現実から自由である。
すなわち、戦争が平和なり。
いまや戦争は平和そのものである。敵に征服されない以上、現実を制御する技術、科学を放棄しても良い。その算術体系では2足す2は4でも良いし、5でも良いのだ。
∧∧
( ‥)平和が戦争に包含される
それが現実世界
戦争が平和に包含された
それが1984年
( ‥)狭い閉じた世界では
‐□ おかしなローカルルールが
跋扈する
そういうことだよね
しばしば問題になる、かけ算には順番があります、という小学校教師のたわ言もこれと同じだろう。彼らは人を支配し評価するという目的のためだけに、ローカルルールとして問題の文脈とかけ算の順番が対応する、という発明を行い、人を選別し、有頂天になったが、そんなもの、外へ出たら”使えないゆとりだな”と吐き捨てられるのがオチである。
∧∧
( ‥)現実は物事を現実へ
収束させる強制力を
持っている
(‥ )現実世界には
自由が無い
そういうことでもあるな
1984年の世界は現実世界とは何もかもがちょうど正反対。いわば鏡の国なのだ。自分たちのローカルルールだけを通用させる。その自由を行使するために彼らは世界を閉ざし、必死で調整している。事実、小説中ではなんどもそういう説明が出てくる。彼らは自分が何をしているのか知っている。自分たちが現実世界では生きていけないか弱い存在でしかないことを十分に承知している。だからこその二重思考だ。現実という恐ろしい場、絶えず検証とテストを要求する無慈悲な世界を正確に認識しないと、虚構と詭弁は致命的な結果をまねく。
現実を無自覚に認識しつつ、意識的かつ無自覚に詭弁を行使する。これが二重思考。この二重思考がなければ1984年という引きこもりたちの理想郷は正確に動作しない。
∧∧
(‥ )だがおかしなもので
\‐ 1984年を予言の書だと
思っている人は
こういうことを
まったく無視する
(‥ )というかだな
むしろ自分たち自身が
1984年の
劣化版としてふるまう
ことが多いように
見えるよね
自分たちこそが
1984年と同様
詭弁と無謬の住人なのに
それを自覚していない
それは
無自覚ゆえに不正確
そして稚拙な
二重思考なんだよな
戦争を統括する平和省。その奇怪な姿を見た人は、建前上、軍隊ではないことになっている自衛隊を連想した。そして自衛隊をまるで平和省だと揶揄する。
ああしかし、それはまるでトンチンカンな把握だろう。平和が戦争の一種でしかない現実世界と、戦争を平和へと転換した鏡の国とでは意味がすべてにおいて正反対なのだ。
二重思考と1984年を恐怖する人は、実際のところは稚拙な二重思考者ではないのか?
これはhilihiliのhilihili: 2足す2は5であると言う自由の続き