2014年8月18日月曜日
おっさんの人生がすっからかんであるように
気弱になった集団の多数意見は往々にして誤る
∧∧
(‥ )元は南極観測隊の人が
\‐ 申し述べた言葉だとか
(‥ )でも下に天声人語って
ついているんだよな
それでreblogされて
いるから
どういうこっちゃ? と
思ってみたら
朝日新聞のコラム
天声人語に引用されて
それがさらに引用されて
いたのな
朝日新聞というと、先日、慰安婦問題の火付けネタは我が社の誤報です、というか捏造? そんな告白をちっちゃく認めて大ひんしゅくを買ったメディアだけども。
∧∧
( ‥)気弱になってる?
( ‥)今はそうだよね
‐□ 図体はでかいのに
か細くひ弱で
取り繕っておる
でもやった当時は
強気で誤報をし
強気で捏造をしたって
ことになるんだろうなあ
強気で捏造したことが時の経過と共にばれてくる。つまり強気でも誤るってことなのだ。しかし、彼ら自身が今そうであるように、そして引用してみせたように、気弱になった集団の意見が誤るとは、先の言葉ですでに示されたこと。強気で捏造、弱気で破滅。だとすると、もはや何もかもどうでも良いことのように思えてくる。引用された言葉が本来持っていたであろう重みが、雲散霧消して空の彼方へ飛んでいってしまいそうな軽薄感。これが朝日新聞クオリティー。
捏造であろうが誤報であろうが、その時にすべきことを果たせない。それはこういうことである。
∧∧
(‥ )そういえば天声人語を
\‐ 書き写すノートがあるよ
そんな広告を駅のホームで
見かけたことがあったよね
(‥ )あれを見たときは
写経かよ?
ジャーナリズムとやらは
宗教になったのか...
ずいぶんと
堕落したものだな
そう思ったけど
これは本来的な意味におけるジャーナリズムとしては致命的なことだ。ここには文言を真実であるとして、これをコピーせよ、という指示がある。
∧∧
( ‥)ジャーナリズムは検証では
ないのか?
( ‥)残念ながら
‐□ ここから分かることは
ジャーナリズムとは
真実だと自分が思った
事柄を吹聴する行為だ
そういう現実だろうね
ジャーナリズムとは
妥当性とか検証とか
そんな動作ではないわけだ
そして、だからこそ、あの誤報なり捏造なんだろ? そう言うと確かに整合的なのである。
∧∧
(‥ )...まあ、でも気持ちは
\‐ 分かりますよと
(‥ )あらかじめある物語に
合わせて取材する
これが真実だと思い込む
捏造でもこれが道徳的に
正しいことだから
これで良いのだと言い張る
こういう動作はねえ
記事を書くときに
楽なんだよね
データを恣意的に配置するだけである。ごくわずかなデータで十分なのだ。取材する必要はないし、検証するという手間もいらない。というか、そもそも検証できないのだ。検証とは、集めたデータを整合性とか最節約とかそういうアルゴリズムで解析する場合でないと成り立たない。お話に合わせてみました、という方法論では検証が原理的に不可能になる。
しかし、検証する必要がない、とは実に都合の良いことである。その分、手間がはぶけるからこんな楽なことはない。ジャーナリズムといっても、しょせんは時間に追われる会社員でしかない。余計なことなどしていられない。そして何よりこれは楽なのだ。あらかじめ頭の中で考えたお話に合わせているだけなのだから。こんなことなら馬鹿でも出来る。誰でもできる。
真実の追求。つまるところこれは都合の良い愚劣な言葉だと言える。真実は終着であって検証足りえない。これは検証の放棄というに等しい。つまりジャーナリストが口にする使命感は手抜きの口実になる、それだけの話。
真実とは頭の死なんだとも言える。真実は仕事と思考を楽にする頭脳の終着点。
∧∧
(‥ )仕事が楽になる
\‐ この誘惑には耐えられないよね
(‥ )というかな
人生が楽になるのよ
おっさん見れば分かるだろ
おっさんはなぜ固まるか?
おっさんは体力ないからな
もう、ぼーっと
同じことを繰り返すしか
ないんだよね
頑固になれば、楽だ。
頑固とは、私は同じことしかしたくありません、であって、私は同じことしかできません、である。
そして真実とは固いのである。頑固なおっさんが頑迷に真実にしがみつくのには理由がある。ただし、真実とは固いだけで中身は空っぽだ。おっさんの人生がすっからかんであるように。