2014年7月15日火曜日
抜けるような虚空の下で矛盾と整合性を
「ゆめにっき」というゲームがある
=>ゆめにっき - Google Search
=>自作ゲーム「ゆめにっき」の紹介 - Google Search
英語圏でもカルトな人気
=>https://www.google.co.jp/search?q=yume+nikki+madotsuki&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=PfnEU6ylLZbe8AX-xYDQDw&sqi=2&ved=0CAYQ_AUoAQ&biw=1032&bi…
∧∧
(‥ )RPGツクールを用いて
\‐ 個人が制作した
ゲームであると
(‥ )知ってみれば
ネット徘徊中に
このキャラは何ぞ?
と以前から思っていた
絵の元ネタなんだな
三つ編みの包丁を持った女の子、あるいはモノクロの異様な姿をした女の子、あるいは金髪のポニーテール、あるいは黒い服と白い肌をした長身の異人
∧∧
( ‥)でもなんか妙に
絵柄に振り幅がある
( ‥)知れば当然
‐□ 元絵がドット絵なんだ
ドット絵は小さな正方形を組み合わせた、簡易だがゲームにおいて効果的な表現でもある。そしてそこから姿を吹き込まれた絵は、より大きな自由を手に入れる。
∧∧
(‥ )ゲームのHPを覗いても
\‐ ほとんど説明がないの
ですね
(‥ )まさに「夢」かな
そのせいで色々な考察が
生まれたわけだ
プレーヤーが部屋の外に出ようとすると、主人公の女の子は首を振ってそれを拒否する。それはなぜなのか?
なぜ眠った時に見る夢と現実のベランダにしか行動の自由がないのか?
女の子、信号機、異形の姿、変身、狂った人々、これは何を意味するのか?
∧∧
(‥ )でも大方の考察は
\‐ ある程度収束するのだと
(‥ )引きこもり 虐待 いじめ
交通事故 裏切り 疑心
心の傷と恐怖
ここまで説明がなく
これほど夢のように
とらえどころがなくても
皆が感じる印象は
ある枠内にとどまり
収束するのだな
そして、そういう考察でしばしば見られる言葉が、矛盾、整合性、つじつま、であった。
∧∧
( ‥)みなさん、証拠の整合性を
基準にして考察を
行っているのだと
( ‥)みなみな、
‐□ 真面目に整合性という
基準に基づいて
考えるわけだよ
ひるがえればである。読書家って連中はこんな当たり前の事すら出来ない連中だ、とも言えるのだ。
なぜって、読書をしている頭でっかちな知識人たちは、自分の俺様解釈を建造することに忙しく、証拠だの整合性だの見ていないからである。
∧∧
(‥ )まあ、ゲームの解釈でも
\‐ そういう人は当然
いるのでしょうけどね
(‥ )確かにかなり不思議な
解釈もあったなあ
しかし、あれも証拠を直接つなぐというよりは、意図的に少し間隔を空けて証拠を配置し、その隙間に物語を挿入して新たな形を紡ぎだす、というものであった。
∧∧
( ‥)物語を作る時に使われる
手法だよね
( ‥)物語はそれで良いのだ
‐□ そうでなければならない
整合性と、そして
心の琴線に触れるかどうか
判断はそう下される
物語はそれで良いのだ。それが物語である。それこそが夢。心が張り裂けてしまうのなら、張り裂けてしまえばいい。
だがしかし読書家の諸君よ、学問はそうじゃねえだろ。これを学問でやってしまう連中がいるのはまったく呪わしい。
∧∧
(‥ )ダーウィンは獲得形質を
\‐ 肯定していた
だがこれは間違いだ
ゆえにダーウィンの進化論も
間違いであり
ゆえに優生学的な社会進化も
間違いである
そう書いた大学の先生が
いたよね
(‥ )だがダーウィンはこう
言っているのだ
子供を生まない働き蟻は、しかし労働に特化した姿になっている。これは獲得形質を否定する非常に明らかな証拠である。
∧∧
( ‥)その一方では
獲得形質の可能性を
ダーウィンは
最後まで捨てなかった
これはなぜか?
( ‥)一見すると矛盾なんだが
‐□ どうもなあ
今風に言うと中立説の
近似解のように
考えていたふしが
あるんだよね
さながら、エカントがケプラー第2法則の近似解であるかのごとく。この解釈が妥当かどうかは検討しなければならぬ。しかし確実に言えることがある。ダーウィンの主張は少なくとも表面的には矛盾しているのだ。この一見すると矛盾に見えるこの設定はなぜ仮定されたのか? それこそが検討すべき謎であろう。
∧∧
(‥ )でもさっきの大学教授は
\‐ そうは考えなかったと
(‥ )そういうのは
本を読んだとは
言えないのだよ
”あの矛盾”は
あからさまだからな
読んで気づかぬ
はずがない
だが、そんなことも読んでないというのなら、では読書とは一体全体なんなのか?
( ‥)俺は読書家って連中が
‐□ 大嫌いだよ
∧∧
( ‥)さいですか
解釈の宮殿なんか築く必要はない。そうではなく、矛盾と整合性をただ見つめるだけで良いのだ。虚空の彼方へ抜ける空を見上げながら。
これはhilihiliのhilihili: 読書家の脳神経がただの”ふるい”になっている可能性の続きでもある