2014年6月5日木曜日
ゆえに望まれるは知性無き混沌
生き残る者は強い者でも賢い者でもない、変化し続ける者である
∧∧
( ‥)まあ、詠み人知らずな
この文章表現は
一応、ダーウィニズムの
近似的な表現には
なっているにしても
( ‥)もちろん、正確では
‐□ ないのだ
だからこのままでは
色々と誤解を招く
わけだよね
つまり、これはhilihiliのhilihili: いかに破壊するのか? 今、問うべきはここの続き
例えば、以上の言い様を聞いた時、人によってはこう思うのではないだろうか?
なるほど、変化し続ければ生き残れるのだな、と
無論、この解釈は大間違いである
∧∧
( ‥)シーラカンスや
ゴキブリさんはどうなるのだ
というね
基本的な問題がね
(‥ )変化は絶えず
起こっているが
”変化しない”もまた
変化のうちなのだ
変化するか、しないか? それは自然淘汰が決めることだ。変化は結果でしかない。つまり、変化は存続の原因ではないのだ。
生き残れるのは変化し続けるものである、という表現が持つ重大な欠陥がここにある。
*ダーウィンに従えば、淘汰という過程によって存続という結果が生じる時、変化が起こる。だがしかし、外見上、変化が起こらない場合も当然ある。生きた化石というものがそうだし、そもそも生きた化石という言葉を最初に使ったのはダーウィンだ。
**こうしたダーウィンの主張を「生き残れるのは変化し続けるものである」と言い直した時、文脈上、変化と存続が原因と結果になってしまった。どちらも本来は結果であるはずなのに。そして変化と存続が原因と結果になれば、変化すれば存続できるのだ、と誤解されるのは当たり前である。
***そもそも、生き残れるのは変化うんぬんとは、小泉政権時代に変革を正当化する際に言われたことであった。それを考えると以上のような誤解も、それを招いた表現も当然だと言える。
∧∧
(‥ )実際には
\‐ 変化すれば生き残れる
そんなことあるわけ
ないですからね
(‥ )火事だ!
よし、服を着替えよう
それでは
死んでしまうでな
変化=存続、ではないことは火を見るよりも明らか。
∧∧
( ‥)でも時代が煮詰まっていて
変化が望まれているのは
事実なんですよね
( ‥)時代の閉塞感とか言って
‐□ 国民を煽り立てた
マスコミや文化人は
実際には勝ち組だった
彼らが言う時代の閉塞感とやらが嘘くさいのは当然である。勝ち組の金持ちの老人共が言う事なんか、馬鹿馬鹿しくて聞いていられない。連中は壁にでも話かけていれば良いのだ。
∧∧
( ‥)だが混乱と混沌と言えば
どうなるのか?
(‥ )時代の閉塞感よりは
ましだろうな
時代の閉塞感、という言い様には、輝かしき新世界の門を僕らが開こうという、おこちゃまめいた計画主義的な響きがある。そんなものは民主党と政権交代の大失敗で色褪せてしまったが、そもそも賢しすぎるのがいけないのだ 世界を僕らの秩序に染めよう、とはあまりにも中二病であり、青すぎる。自分の知性なんていう、愚劣を実体化させたようなものを信じるから駄目なのだ。
∧∧
( ‥)混沌はそうではない
( ‥)そもそも混沌には
‐□ 知性がないでな
変化するかしないか、それを決めるのは僕らではないし、我々でもない。それを決めるのは宇宙だ。だがしかし、私は変化を望む。
∧∧
( ‥)そしてそれゆえにこそ
混沌が望まれるのだと
(‥ )混沌は大いなる素材ぞ
素材があれば
淘汰が選ぶ可能性はより
広がるわけだよ
知性主義が敗北する理由がここにある。知性は馬鹿を切り捨てるので結局は選択肢を狭めているだけなのだ。行き着く先が挫折であるのは当然。
ゆえに、望まれるは知性無き混沌