2014年5月25日日曜日
あの喫茶店、やっぱなんか微妙に呪われておる
( ‥)なんか異様に疲れてるな
なんだろう?
∧∧
( ‥)昨日、寝不足のまま
打ち合わせに出かけて
帰ってきたら
好きな事をするんだと
絵をずーっと描いて
いたからじゃね?
必要なものを買いに町へ出かけて、帰りに喫茶店に寄った。
以前、
私、アメリカへいって勉強して、帰国したらアイドルになるの
と言っていた若いお姉ちゃんや
俺、いもとようこみたいになりたくないんだ。あいつは売れてるけど本当に自分がしたいことはしていないんだ。我慢して他人にプロデュースされるままなんだ。俺はそうじゃない。俺は自分の笑いを認めてくれるレベルの高い客を集めて成功してみせる。ネットがある現代日本ではそれが出来るんだよ。
渋面を作る父親と、よせばいいのに無駄に理解力のある弟と母親に、そう力説していた若い兄ちゃんのいた店である。
本日はすいていて
∧∧ 資料に眼通しです
( ‥)
‐( ‥)この喫茶店では
‐□ アールグレイが
お気に入りでな
本を読んでいて、難しい箇所にまで来たところで、後から入ってきた女の子二人の話が耳に侵入してくるようになった
∧∧ なぜに?
( ‥)
‐( ‥)んー 多分なあ
‐□ 難解な文章よりも
普通の会話の方に
脳が逃げている模様
俺、能力ねえなあ
分かりやすい部分を読んでいる時にはそんなことなかったから、多分、そういうことなんだろう。
それに、仕事に誇りを持っているせいか、二人とも声が無駄にでかいのだ。
フリーターの道を選ぶなんて、あの人、社会人を馬鹿にしてるよね?
仕事が乗ってきたところで落ち着いて彼氏を見つけようとしても、結婚相手に自分以上の収入があるのか? 軌道に乗った今の仕事を放棄していいのか、そこ悩むよね?
会社の人、二つ年上なのに彼氏の愚痴を私に聞かせるのよ?? 否定したら、私が怒ったと思って、ごめんね、ごめんね、と言うのよ。
そう、怒るように、軽蔑するように話していた。
....いやしかし、思うにだ、文脈からするとそれ、むしろ彼氏がいる自慢じゃねえの? どっちかというと馬鹿にされてんじゃね?
そんなことを考える
自慢されて怒っているの
∧∧ じゃないですかね?
( ‥)
‐( ‥)かもしれないな
‐□ 発言自体は
そういう内容では
ないけどもね
かもしれない。しかし表面的には、年上なのに彼氏の愚痴を女々しく聞かせるあの女は嫌い、軽蔑する、そういう内容であった。
ああしかしだよ、人間というのは、男も女もそうだが、ねじくれてひん曲がった遠回しの方法で自慢話をしたり、自分の力を誇示するものだ。それゆえ、愚痴を聞かされても、その愚痴が愚痴であるとみなすのは、正直、難しい時がある。
ご飯をおごるのはリーダーの
∧∧ 力の誇示みたいにね
(‥ )
‐( ‥)食事をおごる上司は
‐□ ”食事は上司がおごる
ものである”
という暗黙の了解を
愚直に果たしているだけ
...というわけじゃ
ないからね
あれは力と立場の誇示である。
上司がおごる。これなんかは分かりやすい例だけども、世の中にはもっとねじくれた表現や誇示がある。しかしだ、困ったことに理論的に整然と、あるいは無駄に真面目に考える人間にはこういうことが理解できない。真面目で合理的な人間は無駄な行動の裏にある、その真の意味を読み取れない。
時々思うのだけども、仕事を必死でしている人は、そのあまりの苦痛に心を理屈で塗り固めるものらしい。仕事はいくら美化しても、結局はつらすぎるのだ。だから真面目な人は意義とか意味とか人生設計とか、そういういかれたものに頼りだす。真面目なんで、信念を無駄に論理へと翻訳して、自分なりの理論体系を作り出す。自分のやっていることは正しい、自分の仕事は誇るべきだ、そうでない人間は許せない。理解できない行動は相手がきっと馬鹿だからだ、そんな感じで。
そしてねじくれた誇示を
∧∧ 愚かだと受け止める
( ‥)
‐( ‥)端から見ると
‐□ 馬鹿はお前だ
なんだけどね
無駄には、それが無駄であるからこそ意味があるという場合がままある。
しかし真面目な人間はやっぱりこれが理解できない。それゆえ、真面目人間たちは、この人たちはきっと馬鹿なんだ、そう解釈するだけだし、そういう理論体系を心に作り出す。
それでも処世術は身につけるのだ。愚痴をこぼすこの人は馬鹿なんだけどそれを指摘すると怒りだすから、それを言わずに軽蔑しながらうなづけば良いのだ。そういう理解を作り出す。
一見すると近似的な
∧∧ 理解だね
( ‥)
‐( ‥)一見するとな
‐□ でもそれって
地動説と天動説以上に
違っているものだよね
さて、一見すると正しい理解のようでいて、実際のところピエロは自分であったということが世の中ではよく起こる。特に真面目な人間はそうだ。
真面目というのは誇れるようなものではない。それは、普通でないということだ。普通よりも真面目な時点で普通でないのは必然。そして、普通でない、というのは心のどこかにあるべき、必須の回路と部品が欠けていることを示す。真面目な人間は自分を致命的な欠陥品であると注意するべき。自覚しないと、いつか必ずよからぬことが起こる。しかもその不幸の震源地は他人のように見えて、実は自分だ。それゆえに逃げられない。その時は必ずやってくる。
そして欠けた部品を自己流の理論武装だけで埋め合わせできるものなのか? それは時間が試すことになるんだろう。
どうなるんだろうね
∧∧ あの人たち
(‥ )
‐( ‥)さあねえ、
‐□ 本の続きは帰ってからに
しようか
ここではこれ以上は
読めないね
帰ってから、買ってきたパテで水漏れ箇所を埋めた。現状、状況は良好である。