2014年5月1日木曜日
そして、妥当性の基準だけが残った
hilihiliのhilihili: 仕事してねー やべー 俺やべーの続き
であったhilihiliのhilihili: こればっかりはどうにもならぬ
∧∧
(‥ )要するにさ あなたは
\‐ 才能が無いんじゃないの?
(‥ )才能が無くても
仕事はしなくちゃならんでな
今から24時間前の書き込み、これをそのまま以下に続ける
∧∧
( ‥)才能が無くても仕事は
しなければいけない
( ‥)そうしないと
−□ 死んでしまうからね
まあ、それに、才能が無いなら辞めねばならぬ、というわけでもない。仕事を続けられるか否か? それを決めるのは才能ではない。決めるのは支出と収入だ。
∧∧
(‥ )才能があるのに赤字で
\− 死んじゃう人もいるからね
(‥ )才能が無いなら辞めろ
この要求が正当な響きを
もって聞こえる時が
あるとしたら、
巻き込まれる人が
”あなたが今のままだと
僕らが死んじゃうので
辞めていただけませんか?
そう訴える時だからな
才能があるのに死んでしまう人もいれば、特にたいした才能が無くてもなんかやっていける人もいる。結局は収入に対して支出が上回れば死ぬし、支出に対して収入が上回れば生活できるのだ。
才能が無いのなら辞めろ、という要求も、結局は巻き込まれる側が迷惑だから言っているだけで、”才能がない人はすべからくその職業から去るべきである”と言っているわけではないだろう。
*本気でそんなことを言う人間がいるとしたら、それは言葉だけで物を考える上っ面人間だ。隙を見て背中を押し、崖から突き落としてしまえば良い。
ともあれ
∧∧
( ‥)消費者の喜びが
理解できなくても
仕事はしなければいけないし
心が理解できなくても
収入が支出を上回る限り
仕事は継続できる
( ‥)というかね
−□ 消費者の喜びを
理解する必要は
そもそもないのだよ
というか、理解しても良いが、”その理解”が正しいという保証がないのである。
例えば以前、調べてみたら、どうも若い女性が深海魚の本を買っている、という結果が出て、驚いたことがある。
∧∧
( ‥)あなたにはまったく予想外
そして想定外
(‥ )若い男性をターゲットに
していたからね
女性が買ったのは
意外だったな
たぶん....
写真が多かったからだと
思うのだけどね
女性というと理系な
イメージがないから
内容にはあまり関心が
ないでは...とか
思ったもんだが
だが、この解釈はこちらの勝手な解釈でしかない。あるいは仮説でしかない。写真が多かったから買ったのだろう、という解釈には確信を持っているが、そうであるという保証はない。
女の子には理系なイメージがあまりわかないないので(実際、どういうわけか理系の女の子は少ない)、買った彼女たちも本の内容、それ自体に関心があったわけではあるまい、と思いつつ、この解釈が正しいという保証も、またない。
*女の子も子供の頃は普通にザリガニを採っていたりするものだ。それを考えると、女の子が生物系のことに醒めてしまうのは、成長が速く、あっという間に大人になってしまうからじゃないのか? とか思っているのだけども、これも手前勝手な解釈でしかない。とはいえ、妙なことに、男もおっさんになるまで成長が進むと、昆虫とか嫌いになるように見えるのは....これは偶然にしては出来過ぎである。
∧∧
( ‥)ともあれ、あなたにとっては
予想外で想定外
( ‥)だから思うのだ
−□ これゆえに受けたのだ!
だから売れたのだ!
そう解釈しても
それはあくまでも
ただの解釈なんだよね
人は原因と結果、その因果関係をいくらでも、とうとうと述べることができる。しかし、それが正しいかどうかは分からないのだ。
*検証することは不可能ではないが。それにはかなりな労力が必要で、非現実的である。
∧∧
(‥ )今は妹ものが受けてますから
\− ○○さん、そういうのを
書いてください
そういう編集の要求に
へきへきしている人の
愚痴を時々見ますけど
(‥ )「妹ものが売れている」
そういう結果だけを
とりあえず
模倣しようと考える
それは
因果関係を断じて
こうだからこうだ
と論じられるよりは
ましだと考えるべき
*注:妹ものが売れている、という言及自体が、広い意味ではすでに因果関係の特定であることを考えると、これもまた過ち、それも致命的な奴であるかもしれないけども、それはここでは考慮しない。
まあ、少なくとも言えることはある
∧∧
( ‥)ようするにだ、
あなたの業界では
因果関係はどこまでいっても
不明なままで
結果しか分からないわけだ
( ‥)だとするとさ
−□ 消費者が何を
どう考えているのか?
なにを望んでいるのか?
そんなこと
考えるだけ
無駄なんだよね
つまり、例えばの話、
グールドの本を読んで心の琴線に何か触れるような人のために本を書くのか?
あぁ? そんなこと知るか、確からしいものだけ書けばいいさ、と開き直るか
∧∧
( ‥)どっちをやっても
同じですよと
(‥ )じゃあ後は自分の
好きにやるこった
つまり結局、いつもの話である。どうせ何やっても無駄だし同じだというのなら、正しいことだけ書いていれば良い。お客の心理も、売れた売れないの因果関係も分からないのなら、最後の基準として残るのは、妥当か、妥当でないか? それだけなのだ。