2014年3月10日月曜日
ぐらぐらしている岩をつつくと、当然、落ちる
∧∧
(‥ )ウクライナの問題は
\‐ どうなるのでしょうね?
(‥ )一番安定な状態
つまりクリミア半島が
ロシアの手に落ちる
それだけじゃね?
というか、
そうなってるし
ウクライナの争乱では、EUやアメリカなど、西側の暗躍や働きかけがあった、もっぱらそういう噂が広がっているけども
∧∧
( ‥)あなたはあれだよね?
人間には自由がない
という考えの持ち主だよね
( ‥)自由を目指して陰謀を
‐□ はりめぐらせても
お前の考えなど知らんと
世界は突っぱねるものさ
そうじゃないかい?
そういえばこんな話をしばしば聞く。
1979年に革命で倒れたイランのパーレビ朝、あの革命ではアメリカの諜報機関などが策動したと言われる。
∧∧
(‥ )本や、あるいはあっちの人の
\‐ 見解でもそういう話は
出てきますよね
(‥ )疑り深く言えば
よく流布した陰謀論だし
まま受け取れば
事実なんだろうな
問題は、策謀、策動したにも関わらず、結果出来たのは反米強硬派のアヤトラ・ホメイニ率いるウラマーによる政治体制だったということで。
∧∧
( ‥)陰謀をした結果が
これかよ?
というオチ
( ‥)イランは、歴史的に、
‐□ じょじょに宗教色が
強まっている
そういう意見があったよね
確かに、言われればそうかもしれない。イスラームを旗印に結集したアラブに征服され、世界最初の大帝国を築いたイランの人々の矜持はおおいに傷ついた。
∧∧
(‥ )そのせいか、スンニー派
\‐ ではなくて、謀殺された
第4代カリフである
アリーさんをイスラームを
導く正当な後継者とみなす
シーア派が主流になる
(‥ )滅ぼされたササン朝の
零落した姫を彼は
保護したから、
ササン朝の血脈も
受け継がれているという
世界観だったかね
以後、少数派ではあるがシーア派はかなりな勢力を持っていたけども、16世紀の初頭、イランに建国されたサファビー朝ペルシャにおいて国教とされたことで、現在のイランの基礎が出来上がる。
∧∧
( ‥)確か、初代の皇帝である
シャー・イスマイールさんは
宗教指導者でもあるんだよね
( ‥)彼を宗教指導者とあおぐ
‐□ 熱狂的騎馬軍団である
キジルバシの突撃は
それを小銃で撃退した
オスマントルコ帝国と
イエニチェリ軍団をも
畏怖させたと言うけども
確か、この時代になると、アリーの系譜はお隠れしており、その代行として宗教指導者が立つ、という形式になっていたのではなかったか?
∧∧
(‥ )うろ覚えだから要確認だけど
\‐ そういう話があったよね
(‥ )それを考えると
ホメイニ師が政権を取って
宗教学者であるウラマーが
政治を行うというのは
当然の延長線だとも
言えるよねえ
歴史の流れからすれば
自然だよなあ
∧∧
( ‥)つまり、いくらアメリカが
謀略を働かせても
パーレビ朝の後に
やってきたのが
宗教政治であったように
(‥ )謀略は物事を動かす契機には
なるけども、
本来その場が持っている
安定的な状態へ
移行させるだけで
謀略者が望むような
結果は生じない、とも
言えるよね
話を戻せば、実際にこれが起こってしまったのではないのか?
もしも仮に、本当に西側諸国がウクライナを取れる! と思ってデモと暴動をそそのかしたというのなら、その結果はというと、ロシアの影響が色濃い地域がロシアの手にぼろんと落ちたのだ。積極的に相手にくれてしまったようなもので、結果的に言えば、大失敗というよりも、むしろ底抜けの馬鹿だとも言える。
∧∧
(‥ )つっついても安定解へ
\‐ 移行するだけで
思った事など起きるわけが
ないのだと
(‥ )絶妙なバランスでぐらぐら
ゆれている岩をつつけば
おっこちる、それだけの
話だよね
言い換えれば、もしも本当に本気で策謀したというのなら、考え方が奇妙なんだとも言える。単に目先の利益に眼がくらんだのかもしれないし、うがった見方をすれば民主主義こそ絶対だし、みんなそれを望むはずだ、という非現実的な考えを宗教のように信じた失敗なのかもしれない。
∧∧
( ‥)人間にはこの意味において
自由がありませんと
(‥ )自分の人生を振り返れば
分かりそうなもんだがな