2014年3月15日土曜日
作者は世界線をさまよう主人公と同じ
小説を書くために小説を読んでどうする? ケーキを食べればケーキを作れるようになるのか?
∧∧
(‥ )半分は正しいのでしょうね
\‐
(‥ )完成品を見ただけでは
制作行程は分からない
それは正しいな
ただ、小説は、それ自体が過程だよね?
∧∧
( ‥)つまり小説は厳密な意味では
ケーキではない
( ‥)ケーキというよりは
‐□ フルーツパフェみたいな
ものだろうな
フルーツパフェは素材が上下に並んでいて、行程が見える。ケーキも一応そうではあるが、フルーツパフェの方がより顕著だろう。
∧∧
(‥ )小説はそれ自体に
\‐ 行程を反映した
前後関係があるから、
読む事でそれを
確認できます
(‥ )もちろん、作業ってのは
必ず前後に進むわけでは
ないから
小説というものは
むしろ繰り返される
世界軸の探索と考える
べきかもね
SFでは古くからあるアイデア、世界線。
世界は無限に分岐し、無限の可能性がある。何度も同じ時間を繰り返すことで、この無限の可能性の中から最良のゴールを探索しよう
ゲームが普及すると、アニメなどの創作分野にまで拡大したアイデア、それが繰り返される試行錯誤の探索、世界線。
∧∧
( ‥)失敗したらリセット
失敗した分岐点にまで戻って
望む結果が得られる時間が
見つかるまで繰り返す
( ‥)小説を作る過程は
‐□ ループする時間の中で
ハッピーエンドを模索する
さまよえる主人公に
なることと同じだ
つまり、小説として世に出た最後の完成品は、いわば、探索されて選ばれた”ハッピーエンド”の時空と同じだということになる。
*ただし、完成という形での”ハッピーエンド”が、物語としてハッピーエンドになっている保証は必ずしも無い。
∧∧
(‥ )そういう意味では
\‐ 小説は完成品なのですよね
厳密に過程を反映している
わけではない
(‥ )そういう意味では
小説とはおいしいものよ
前後の文脈という
因果関係がある一方で
幾度も反復された探索の
結果でもあるのだからね
厳密には反映していないとはいえ、小説というものは、ある程度は制作過程を反映しているものだ。
∧∧
( ‥)なぜあの時、主人公は
こうしなかったのか?
なぜ、当然出るべき台詞を
彼女は言わなかったのか?
(‥ )それをしたら
話の筋が、別にそれて
しまうからだよね
それは読んで考えてみると
分かるものさ
なぜ主人公はこうしないの?
それは別の時間軸でそれをしたところ、ストーリーが破綻したからです。
恋の鞘当てにおいて、実の妹が幼なじみに勝利した世界。そこでは、敗北した幼なじみは、「あなたたちセックスはどうするの??!!」とは言わなかった。作者がそれを検討したかどうかは知らないが、普通に考えれば、その選択肢は試されて、そして棄却されたと見るべきなのだろう。
∧∧
(‥ )実の兄妹なのに肉体関係を
\‐ 結ぶ気はあるの?
その一言を幼なじみが
言った瞬間に
話がぼっきり折れますからね
(‥ )重い話題だ
その一言に返すには
小説まるまる一つ分が
必要だろうな
小説の出だしでするなら
ともかくとして
最終決戦の場で
その台詞は無しだよね
∧∧
( ‥)小説を読むだけでなく
試しに書いてみれば
そういう必然性も見えてくると
( ‥)そういう意味でいうと
‐□ 読むだけじゃ駄目だ
書かなければ駄目だ
という意見は
それはそれで正しいな
言い換えると、大概の書評がおっぺけぺーでくるくるぱーの独りよがりになってしまうのは、評者がただの読者にとどまった素人だからだと言える。
考えていればこれは不思議なことであもる。
ゲームがこれだけ普及した世界であるのに、採用された世界線の背景には、棄却された世界線が無数にあるということを気づいていない人がものすごくたくさんいる。
間抜けな書評は世の中にはそういう人々が山のようにいる、ということを示しているからだ。
それとも、これこそがゲームをしないで活字ばかり読んでいる人間が陥る心と脳の重篤な病。活字脳の実在を示す証拠であろうか?
∧∧
(‥ )ゲーム脳がないように
\‐ 活字脳なんてないでしょうに
(‥ )ありもしないゲーム脳が
あるというのなら
活字脳だってばりばりに
実在するだろう