2014年2月25日火曜日
理解をギリシャ哲学にまで後退させる
hilihiliのhilihili: 確かに進化論は証明されてはいないの続き
∧∧
( ‥)例えばの話
(‥ )無理数とマイナス
あるいは虚数
これら怪し気な概念は
非科学的なり
しかし偉い先生方は
これらを用いないと
解けない二次方程式がある
そうおっしゃる
だが、事態は逆ではないか
これらを解くこと、
それ自体が科学にあらず!
ああ、人はいつになったらこの迷信と無知蒙昧から目覚めるのであろうか?
….とっ、言ったら、果たしてどう思われるでしょうか。
∧∧
(‥ )進化論は証明されていないから
\‐ 科学にあらず、とは
ほとんどこれに近い
発言であるのだと
(‥ )長い時間をかけて概念を
拡張し、工夫することで
これまでは解けなかった
問題を解く解法を
作ったのだ
それが理解の歴史だよ
こうした理解の歴史を、無知か意図的にか、いずれにせよあえて後退させることで、ほら見ろ! 解けない、つまり間違っている証拠だ! と主張するのは、まあかなり恥ずかしいことなんだろう。
∧∧
( ‥)理解をギリシャ哲学にまで
後退させることで
進化論は科学にあらず!
そう主張する
( ‥)哲学者や、半端に哲学と
‐□ 科学を聞きかじった人が
進化論は科学ではない
そう得意満面に
言い出すのは
これが原因だろうなあ
意地悪な言い方をすると、ギリシャ哲学は落ちこぼれにやさしいのである。*歴史学としてはまた別かもしれないが、その話はここでは検討しない。
それにしてもおかしなもので、ギリシャ哲学にまで後退すると微分積分も運動も理解できなくなるはずなのだが、
∧∧
(‥ )彼らはそうは言いませんね…
\‐
(‥ )そこがこの手の連中の
理解が浅いところよ
確かに、世の中にはゼノンのパラドックスはいまだに解かれていない! と言う人もいるけども、あれはまた違う話だろう。
それとも、実はあれがそうなのか?