2013年12月16日月曜日
対案が示せないので詩人になりました
対案が無ければ意見を言っちゃいけないのか??!!
∧∧
(‥ )という意見
\‐
(‥ )対案がないと
選びようがないから
選べませんよ、と
言われているわけで
意見を言っちゃいけない
とは言っていないなあ
というか、選びようが無い意見を何度も繰り返されても無駄ですから、もう言わないでください。
∧∧
( ‥)とっ、言われているのだと
(‥ )一度聞けば充分なことを
何度も言われても困るよ
同じことを
繰り返されても無駄だ、
と言われている時に
意見を何度も言っちゃ
いけないのか?
と反論したら、
さて、なんて思われるか。
それだけの話だよね
多分、身勝手、と評価されるだけなんである。
∧∧
(‥ )でもなんで何度も
\‐ 言うのでしょうね?
(‥ )対案がないとは
考えていないのだ。
あるいは今、批判している
選択肢が実はベストでは
ないにしても
ベターだということを
すでに分かっている。
だけど反対したい
それだけの話だろうね。
単純に言うと、これが悪い、という確信しかない、とも言える。
確信で満足して考える事を止めるからこういうことになる。
∧∧
( ‥)ゆえに、
なんで言っちゃ
いけないんだ? という
発言の自由でしか
自分の表明を正当化できない
(‥ )みんなが使えるか
使えないか、を
判断しようとしている時に
表明しかできない
確信しかない
根拠もない、
そういうことだろうね。
こういう場合、人は言葉を連呼し累積させることでしか意思を示せなくなる。ようするに詩人になるのだが、量を誇るしか能がないとは、殺した人数しか誇れないファシストとかと同じだ。そこには理屈はなく、空っぽの確信しかない。