人間は必ず経験で物を考える。
それはいわば成功体験に裏付けられたものだとも言える。
だが、成功体験とは、AをすればBという成功が得られた、というだけの話で、
行為Aと成果Bが実際に原因と結果であるのかまったく保証してくれていない。
例えば、我慢すれば高収入になった。これは成功体験ではあるが、高収入になったことは経済が右肩上がりだったからで、我慢した結果ではないのかもしれない。
成功体験、それ自体は成功についてまったくなにも全然保証してくれていない。
しかしひるがえって考えてみれば、今、自分が生きているとは最高の成功体験に他ならない。少なくとも死んでいない。
つまり、生きていること、それ自体が根拠不明な成功体験になる。あるいはそう思い込む。
しかし実際には、これまでの人生、何一つとして意味あることを語ってはくれない。
それにも関わらず、いや、それだからこそ、人は自分の人生からありもしない因果関係を導きだし、でっちあげ、私が生きている以上は、これが人生の秘訣であり成功体験であると吹聴して、他人にそれを押し付ける。
∧∧
( ‥)つまり何の保証もないのに
生きているだけで
成功した気分になって
自分の人生と成功体験を
語るようになる。
だがそれは無内容。
少なくとも、
その内容保証されない
(‥ )なんだ、生きるって
ようするに自殺だな
生きれば生きるほど馬鹿になり、凍り付いた笑顔が張り付いて、人生がますます無意味になっていく。人の終着点にあるのは果てしない無意味。