2013年8月12日月曜日
自然数と科学史は、無理数と歴史は
さらにhilihiliのhilihili: 私たちは自然数主義者でしたの続き
∧∧
(‥ )単純に言ってしまえば
\‐ ピタゴラス主義が
長く使われたのは
自然の要素が個数だった
からかもしれませんね
(‥ )自然科学が扱ったもの
探求しようとしたもの
太陽系の惑星の数、
元素の種類
素粒子の種類
いずれも個数だった
だからこそ自然数主義
とでもいうか、そういう
考え方でよかったのかも
知れない。
単純に、それだけ、の話ではあるのだろう。
∧∧
( ‥)でも? それだけで
すむのかと
(‥ )数の比が自然界にはある。
ボーデの法則とかは
そういう信念が
現れたものに見えるね
∧∧
(‥ )ボーデの法則は現在では
\‐ 支持されているようなもの
ではないですよね
(‥ )だから今の科学者は
”比が無ければならない”
とは考えていないの
だよな。
それは明らかだ。
∧∧
( ‥)一方、この世界で
無理数はどんな働きを
しているのか?
( ‥)物理的な定数が
‐□ 循環小数にならない、
少なくともそう見える
とか、
なんらかの値を示す式で
無理数が現れる、とか
それはまあ、分かるのよ
∧∧
(‥ )先日、目にした水中での
\‐ 光の減衰を示す式には
自然対数の底eが登場
していましたし
(‥ )そういうのは、なんか
分かる気するんだよね
分かる気がするってのはひどく怪し気なもので、これ自体が検討の対象だけども。
∧∧
( ‥)あなたが知りたいのは
自然科学において
無理数はどんなところで
顔を出してくるか、
ですかね
( ‥)少なくともね、
‐□ 統計学と同様、
無理数と自然数、
この人間にとっては
長く対立的だった
考えがどんな影を
落としているのか?
あるいはいないのか?
それを念頭に入れて
科学史を見直して見る
のも悪くないかもしれない
∧∧
( ‥)まったくの無駄かも
しれないけども
(‥ )人生は大いなる遊戯なり
少し脱線的な発想で
遊戯のごとく見るのも
悪くはなかろう。
例えば、ふとネットを覗いていたら、現象を確実に説明できないのなら、確率論に頼るしかないではないか、というような文章がひっかかってきたことがある。
∧∧
( ‥)言いようからすれば、
世界は確実、確定的だけど
人智は全能じゃないから
確率論で近似解を得ている
そういう発想なのでしょうね
( ‥)確率論は実は近似的な
‐□ 解答を得るための
便宜的な方法論でしか
なくて、
”自然界に確率は無い”
そう考える人は実際に
いるからね。
その人もそうなのだろうな
そして世界は確定的だ、という考えには”世界には自然数しかないのだ”という前提があるように見える。
実際、無限に続くがゆえに、正確な値が正確に分からない無理数が念頭にあったなら、こんな発想をするだろうか?
正確なシミュレーションが出せる、という発想は、無理数を切り捨てていないか? 穏便当然に見えて、実は”過激な自然数主義”ではないのか?
∧∧
(‥ )統計学と決定論、
\‐ ピタゴラス主義と
自然数と無理数ですか
(‥ )みんなそんな真剣には
考えていないんだ。
だけども人間の理解の
背景になにかしら
このあたりの議論が
影を落とす。
そういえば、電子の軌道が整数倍、というのは無理数とは逆な話であり、面白い話なんだろう。
∧∧
( ‥)なぜ整数倍なのか?
考えてみれば
電子が波なら必然だよね
そういう話であると
(‥ )別にこの理解の背景に
ピタゴラス主義があった
なんて言わないけども、
無理数みたいな値をとっても
おかしくないのに
必然的に整数値しか取らない
ことが自然界では起こる、
というのは面白い話で
あるよね。
もちろん、波とその共鳴が整数値になる、というのはピタゴラスの時代から(結果的には)知られていた事実であって、確かに、この世界には必然的に自然数になることもあるのだ。
∧∧
( ‥)でもこれを延長して
すべてが自然数だ、と
言い始めると、
おや?? になる
( ‥)ピタゴラス主義者は
‐□ 無理数を発見して絶望した
僕らはそれを見て、
しばしば笑うが、しかし、
実際には笑えるのだろうか