2013年8月18日日曜日
論理をご本尊にしてはいけない
その人は、神なんて存在しない、神を信じるなんておかしい、そう信じていた。
∧∧
( ‥)まあ、神様が存在するか
しないのか、
どうでも良い話なんですが
( ‥)問題は神がいないと
‐□ ”信じていること”
だったな。
彼にとって、神がいない、は論理的で、神がいる、は非論理的で非科学なのであった。
∧∧
( ‥)神はいる。これが非科学なら
ダーウィン以前の科学は
全部非科学じゃ
ありませんかね?
(‥ )全部かどうかは知らんけど
科学から神という部品が
消えたのは
つい最近なんだよね。
確かにダーウィンは神殺しの男であった。少なくとも科学の世界ではそうだった。そしてダーウィン以後がそうだと言うのなら、神様抜きの科学の歴史はわずか150年しかない、ということになる。
∧∧
(‥ )そしてじゃあ、
\‐ それ以前の科学が
非論理的かというと
どうなんでしょうね
(‥ )というかね、科学から
非論理を抜いたら
科学なんて成立せんのよ
科学には明らかに、論理では正当化できないおかしな思いつきや思い込みや経験則や突飛な発想、飛躍的解釈、根拠不明な信念が混ざっている。これを抜いたら科学なんてギリシャ時代止まりで、それ以上の発展なんかなかっただろう。
そもそも、
データを追加して仮説を検証しよう
科学の中核と言っても良いこの動作自体、証明だの論理だのと呼べるものではない。
*一体、どこの世界に新しい三角を見つけたから、三角形の内角の和が180度であるかどうか、それを改めて検証しよう、とか言い出す奴がいるだろうか?
( ‥)おかしなもんでさ、
経験的に何か論証するのを
証明とは言わないし、
論理とも呼ばないよ?
あるいは経験を論理や証明と
呼ぶなら、それは一般的な
使用方法ではあるけども、
言葉本来の意味としては
使い方が間違ってるよ。
数学の時間にそんな証明を
答案に書いたらどうなると
思う? そう尋ねるとだな
∧∧
( ‥)そう尋ねると、その人は
視線が遠くなって、
それから全然違うことを
話し始めるんですよね。
明らかに自分に不都合な現実を前にしてごまかしている。そこには新しいデータに基づいて自分の考えの妥当性をチェックしよう、という姿勢がまるでない。
つまり、皮肉なことなんだが、科学を信じている彼は科学の基本動作を信じていないのだ。
いや、実はこれ、確かに正しい態度でもある。科学を論理的だと思っている彼は科学の非論理的な動作を理解できないのだ。
∧∧
( ‥)でっ? そういう人が
神様を信じる人に、
それは非論理的だ、
非科学だ、おかしい、と
議論をふっかけるわけですか
(‥ )ちゃんちゃらおかしいだろ?
いや、それともちゃんちゃら正当なのかもしれない。単に彼の勘違いは論理=科学、というこの公式にあるのかもしれない。
∧∧
(‥ )でも、そういう人、
\‐ 多いみたいですよね
(‥ )なんかなあ、論理的に
仕事をこなそうとか、
そういういかがわしい
ビジネス本や
自己啓発本が
あるらしいのよ、
その影響もあるかもね
論理は、いわば、文章の正しさ、しか述べていない。正しい文章で嘘をつくことが出来るように、論理自体は現実を何一つとして語っていない。
論理は必要な部品ではあるけども論理だけでは意味がないし、ましてや論理をご本尊にしてもらっては、ちと困る。
社内でのプレゼンを論理的にすれば勝てる、とかそう安易に申し述べる本もあるらしい。だが悲しいかな、プレゼンがたとえ論理的でも、論理は企画自体が成功するかどうか、それに関しては一切、何一つとして語ってはいないのだ。