2013年8月22日木曜日
実在するという定義を殺せ
こんな指摘を聞いた。
今の学生は試験で物理を選ぶ。つまり論理と演繹で解ける分野を選んで点数を良くしようともくろみ、化学や生物学をとらない。
∧∧
( ‥)そんなもんなの?
(‥ )いや、俺はもう
学生じゃないから
分からん。
だが、これが仮に事実だとしたら
∧∧
(‥ )論理と演繹だけで
\‐ 問題が解ける、
そう考える人が増えるって
ことなんですかね?
(‥ )それは困るなあ。
化学や生物学、地学、
これらの危機だね
まあ、でも考えてみれば、昔も今も、生物学や進化学や地学のことを全然理解できない人はごろごろいたか。
∧∧
( ‥)分類学の立場から進化学や
ダーウィニズムに反対する
人もいるくらいですから
(‥ )分類学って実は論理的、
あるいは演繹的なんだよね
実際にはなんちゃって
論理学なんだけどさ
定義、理屈、結論
種の定義を行い、分類階級を割り当て、理路整然と体系づけて、これがなければ生物学は成り立たない、これぞ生物学の基礎であると理論武装して結論を申し述べる。
∧∧
( ‥)まあ、確かに分類を知らないと
整理された資料がどこにあるか
分からなかったりするし、
分類の根拠と記載論文と標本を
知らないと、生物の同定も
できませんからね
(‥ )もっとも、その手の主張は
本当なら、
認識と資料の整理は
科学の第一歩ですよ
という、それだけの
主張でしかないんだがな
そしてそれだけなら
別にいいんだけどね。
だが、どういうわけか、こっから論理的な飛躍を平気でする人がいるんである。
曰く、ゆえに分類学は科学だ
曰く、ゆえに分類は実在する
∧∧
( ‥)認識と整理が必要である
だから科学である
その理屈が通るのなら
事務作業や予算の折衝も
科学そのものである、
ということになるでしょうね
(‥ )認識できるし、
説明に必要だ
ゆえに実在だ
というのなら、
天使や天球やエーテルが
実在することになるからな
科学に必要=科学である、ではないし、説明に必要=存在する、でもない。
理路整然だと本人が信じ込んでいる主張の中には、とてつもない理屈の飛躍がある。
だが、しばしば人間にとって、論理とはこういうものなのだ。
ギリシャのプラトンが定義、定義と熱心に定義したように、人間はどういうわけか定義と論理さえあれば真実に安住できると思い込んでいる。
実際にはそんなもの、なんちゃって論理でしかないのだけども、言い換えれば、それこそが皆が望み欲する論理そのものなのだと言える。
論理と言いつつ、その実体はなんちゃって論理。だが、それが皆の論理なのだ。
∧∧
( ‥)論理と演繹しか知らない人が
増えたら、こういう
問題が増加すると思います?
(‥ )可能性は、あるだろうな
もちろん、そうだとして状況がどのくらい変るのかは分からない。影響があるかもしれないし、人間というものはプラトンの時代から元々おかしかったのだから、おかしいままで、別にこれまでと変化ないのかもしれない。
しかし、どっちにしても問題の根は深い。定義と論理、そこから得られた結論は真実なり。この論法だと、連続体や定義のしようがないものを理解できなくなる、という事態が生じる。
∧∧
( ‥)例えば進化やダーウィニズムが
理解できなくなる
(‥ )反対にさ、素人受けがいい
トンデモ進化論ってさ
どれも
定義を真実だと断言した
理論なんだよね。
種社会がある、と言った今西進化論
種淘汰がある、と言ったグールドの断続平衡説
種のために、と言ったルイセンコ主義者
以上、どれもこれも、種という定義を真実とみなしてそこから出発したものである。
これらは、ダーウィンが種を抹殺したところからスタートしたこととはまったく逆であって、しかし、種という定義からスタートするからこそ、この手のトンデモ理論は演繹主義者や論理主義者には受けがいい。
∧∧
( ‥)状況は悪化するかもしれない
(‥ )しれないねえ、
だとしたらやるべきは
ひとつだ
実在するという定義を殺せ
∧∧
( ‥)定義=実在、ではない
(‥ )そこだね