2013年5月3日金曜日
その論証が分からないならあの論証も分かっていないのだろう?
hilihiliのhilihili: 君の心の中にない論証は何?の続き
( ‥)そうね、わずかな言葉の
切れ端から考察するのは
議論の余地があるけども
∧∧
( ‥)けども?
(‥ )抽象的な話、というか
仮説的な話として
考えてみよう。
∧∧
( ‥)これ自体がささやかながら
理論というわけですか?
昔、ある人がこういった。
文系の人はね、ダーウィンは自分たちのものだと思っている。
∧∧
( ‥)なぜに?
(‥ )数式が出てこないから
∧∧
( ‥)悪ふざけな言い様ですね
( ‥)半分ぐらいは本気だが
後の半分はこんな理屈
であったね。
ダーウィンは社会的に哲学的に思想的に強大なインパクトを与えた。それはもはや理系の俎上だけではすまない。文系の領域にまで文字通りの意味で広がっている。
∧∧
( ‥)まあ、文系、理系という
分け方自体に意味があるか
疑問といえば疑問ですがね
( ‥)じゃあこう言えばいい?
:単純な理論や式で世界をざっくりと記述できればそれで良い。というか、そうでないと使えないし、意味がないし、有用でもない。
:否! 世界は式で記述できるものではない。そのすべてを詳細に記述すると複雑なものになる。それが真実であり、世界の真の姿は複雑で雄大。
∧∧
( ‥)まあ、その両極端が
あるとしましょうか
そして後者が例えば
ダーウィンは自分たちの
俎上の上のものだ、そう
考えているとする。
( ‥)この文脈で考えた時、
–□ ダイアモンドの仮説は
薄っぺらである、という
評価は非常に興味深い
ものになる。
ダイアモンドの仮説。あの論証の形式はまんまダーウィンが用いたものだよね?
∧∧
( ‥)まあ、ダーウィンさんよりは
整理されていますけどね
(‥ )これ、”彼らは”根本的に
ダーウィンの論証を
理解できないってこと
でもあるよな?
だがそれでもなお、”彼ら”は、自分たちはダーウィンを理解できる、そして理解するべきであり、批判、批評すべき俎上の人物である、そう思っているとしたら、それはなんだ?
∧∧
( ‥)原理的に理解できないけど
理解出来ている、
そう思っていると?
(‥ )そう考えてみると
腑に落ちること多いけどな
∧∧
(‥ )ダーウィンさんの論証は
\– 独特なものですからね
(‥ )画期的なものでもある
ただ、あれだ、
科学=再現実験、とか
科学=論理的に無矛盾
であるとか、
そう考えていると
理解できない
∧∧
( ‥)無矛盾であれば良い、
それでは神学と区別できず、
再現実験のみが科学であると
考えると、ごく狭い領域でしか
科学は機能しなくなる
(‥ )それを突破するには
予測と整合性が必要だ。
それには予測を発見する
方法論が必要だ。
整合性を判定する基準が
必要になってくる。
この場合に検証が可能となり、理論は論証されうる。
∧∧
( ‥)ダイアモンドさんの論証も
これに準じる。しかし、
この論証それ自体を
理解できていないらしい
人たちがどうもいる。
(‥ )ダイアモンドの論証が
理解出来ない。
ならばダーウィンの論証も
理解できていないだろう。
そう考えると理解しやすい
事例が多いと思わないかね?
さあ、君の心の中でどんな理解が生じているだろう?
そして、その論証が分からないのなら、あの論証も分かっていないのではないか? どうだね?
∧∧
(‥ )でも皮肉なものですよね
\– ダーウィンさんの論証を
論じたり、注目したり
否定したり
肯定したりしたのは、
科学哲学者さんたち
だったりしましたけど
(‥ )どこのジャンルも人の質は
ぴんきりだってことだろ?
ジャンルは個人の
集合体でしかない。
理系にだって、
再現実験できないものは
科学じゃない、とか
科学は真実を
追求する学問だ、とか
かなりうかつなことを
口走る人いるからな。