2013年4月22日月曜日
歩くって、多分、こういうことなのね
hilihiliのhilihili: 挫折した計画、達観する夢の続き
∧∧
( ‥)つまり?
(‥ )いやさ、苦労も挫折も
知らない自分が言うのも
なんだけどもさ。
希望も理想もついえて、ああ、俺たちが信じたものはゴミくずでしかなく、失敗であり、そして偽りでしかなかった。しかし、泣いている暇もない。歩かねば...、仕事を作り、作品を制作し、それから....
∧∧
( ‥)偉大であると。
(‥ )偉大だよ。だって、
挫折すら出来ない奴が
ごろごろいるからな。
資本主義の発展、その究極の先に共産主義がくる。実際には資本主義にすらなっていない遅れたロシアでまず革命が起きた事実、予言がさっそく大ハズレしたことは無視して、我々のいる資本主義から社会主義、そして共産主義へと段階を追って社会が進歩することは論理的である。そう連呼し続け、それに賛同しないものは”法則”に歯向かう反動勢力であると非難し続けた。だが、”進歩”だの”前進”だの起きることもなく、しかも当のソ連が困窮と経済的失敗をさらした末に目の前で自壊して分解。それでもなお予言を信じ、法則を信じ、理論の無謬性を信じ、法則が理論通りに進まないのは全部反動勢力のせいだと責任を転嫁し、間違いを認めず、仮説を是正せず、反論のためだけの理論武装をせっせと行い、そのくせ資本主義の成果である狂ったような豊かさを満喫し、娯楽をたしなみ、小説を読み、政治をしたり顔で論評し、今の若者は、と批判ばかりして、漫画を読み...
∧∧
( ‥)挫折すらできていない、と
(‥ )挫折できない者は
是正ができん。
そうなると嘘偽り、
責任転嫁だけになる。
そうではなく、挫折してあきらめて、それでもなお歩き続ければそれは偉大。
∧∧
(‥ )例えばの話、組織を率いる人は
\– 責任ありますしね
(‥ )一消費者だとね、
本来は破壊すべき資本主義の
中でのうのうと暮らすことが
出来るんだ。
手も汚さずに、口だけは
忙しく理想を述べてな。
だけども、指導者となったらそうはいかん。
∧∧
( ‥)ヴ王みたいに?
(‥ )まあ、あのキャラは
そうじゃねえか?
登場した時は、
こんなかっこいい人なの?
話と違くね?
とびっくりしたけどね。
紅の豚のポルコじゃないけども、いや、このかっこよさはいくらなんでも....、あんまりではないでしょうかー、と思ったものだけど。
∧∧
(‥ )そういえば、あの監督さんが
\– 手がけた「未来少年コナン」
だと、戦争前まで農作業
なんかしたこともなかった
おっちゃんが畑をたがやし
農村を束ねてて、
そのことを語って
いましたよね。
(‥ )あれはさあ、再放送で見て
衝撃的な台詞と場面でさ。
世界を容易に破壊できる超絶的な技術体系を持つ大都市に暮らしていたような人間が、描写からするにパンも有機化合物から自在に合成できる都市で生活していた人間が、今では自ら農作業をして、あまつさえ豊かに食べていけるって、なんじゃそりゃあ?? という驚き。
∧∧
( ‥)できるわけがない
(‥ )せーめて、除草剤と
殺虫剤と化学肥料が
必要だよな。
できれば農業書と農業試験場と各品種のストック、それらを管理できる技術者もそろえていただきたい。
∧∧
(‥ )それを考えるとナウシカの
\– なんかびみょーに地獄な
農村のイメージって
ずいぶん良心的な描写
ですよね。
(‥ )現実の農村は、
汚染物質がなくても
ああいう追いつめられた
状況になるだろう、
それがよりリアルな
前近代における農村だと
思うけどね。
そういえば、あの物語は後半でネタばらしがあった時、主人公が気づく場面がある。
人造生態系腐海によって浄化され、流れてきた水はまず貯水池でいったん寝かさないと農作業に適さない。
∧∧
( ‥)お話の中では汚染後の世界に
生きる人間と彼らが必要とする
動植物は汚染に適応するよう
調整されているので、
汚染物質が生存に必須に
なっている。だから水を
寝かせて土壌によって
”汚染”させるのですよね。
(‥ )でもあの描写はさ、
受け取り方によっては
生態系に対する
一般的な誤解を
指摘したものだ、とも
言えるよね。
生態系に関する皆の理解とイメージを調べたいと思い、生徒からアンケートをとったり、聞き取った人が言うには、皆が考える良い環境、良い自然、というのは緑豊かでゴミがなく、水がきれいな環境なんだそうだ。
実はこれこそ、”エコ”という言葉が持ついかがわしい正体なんだとも言える。
∧∧
( ‥)水がきれいって、それが
水道水みたいなイメージ
らしいのですよね。
(‥ )なんか、山間を流れる
渓流のイメージらしいの
だよな。
だがしかし、ことわざにもあるように「水、清ければ魚すまず」。きれいな水は懸濁物が少ないということで、それはひいてはプランクトンとかがいないってことで、それはつまり
∧∧
( ‥)生物がいないってこと
なんですよね。だから
”きれい”に見える。
(‥ )事実、水道水は濾過した上に
殺菌しているわけだしね。
きれいな水と豊かさ、
これは両立しない。
水道水の塩素抜きをすればすぐに魚を育てられるか? といったらそんなことはない。人間がろ材を通して水を循環させ餌を与えるならまだしも、プールに水入れて、魚を入れても飢え死にするだけだ。
∧∧
( ‥)チリが落ちたり、
藻が生えたり、
アカムシが育ったり
虫が来たり、汚れるまで
待ちませんとね。
( ‥)ナウシカの水を寝かせる
–□ 描写はこれそのものじゃ
ないけどさ、言わんとする
ことは結果的に同じよな。
浄化された世界でも、汚染され尽くした世界でも生活できません。
まあ、あの物語は事実、こういうテーマで終わる。ああいった説明が正確とは言わないが、映画になった時や物語の初期のイメージ(あるいは消費者が今でもあの作品に持つイメージ)と比較すれば、かなり現実寄りな描写になっている。
∧∧
(‥ )それ考えると、
\– 産業文明崩壊後に広がる
豊かな農村というコナンから
浄化と汚染の中間でしか
生活できませんねえ、という
ナウシカまで理解が進んだ
そういうことですか
(‥ )歩くって多分、こういう
ことなんだろうな。
反対に、挫折もできない奴は歩くこともできない。評論家になって一生を嘘と責任転嫁で塗り固めて終わるのだろう。
∧∧
( ‥)豊かさを謳歌しながら、
ですか
(‥ )それを恥とも思わなくなる
悲しいもんよ。