2013年2月25日月曜日
汝の魂の叫びにより 我 顕現したり 願いを述べよ
∧∧
(‥ )ニセ科学は科学があるから
\– 科学に擬態して科学の権威を
衣にかぶる。だから科学が
なくなればニセ科学も
なくなるだろう
(‥ )ああ、興味深い意見だね
∧∧
( ‥)なぜ?
(‥ )科学は理論、論理的、演繹
だけでは成り立たないし、
評価されない。事実、
論理的に正しいだけで
実証不可能な理論は
「それでは神学だ」と
”酷評”されてしまう
わけだ。
∧∧
( ‥)科学は経験的に整合性や
因果関係を検証し
見極める動作である
(‥ )それに基づき、先の意見を
言い直してみようじゃないか
経験と整合性、因果関係の検証には権威がある。それがあるからニセ科学がはびこる。ならば、経験という行為から権威をはぎとってしまえば良いではないか。
∧∧
( ‥)それ、相対主義とか
ニセ科学、疑似科学、
病的科学、オレ様理論
そのものじゃね?
( ‥)インチキを打倒できるのは
–□ 適切かつ経験的な検証
だけだ。事実、そうして
科学は魔術に取って代わった
わけだからな。
それを否定したら
先の主張は、実は
疑似科学そのものに
なってしまう。
本末転倒な話よな。
魔術も魔法も宗教も、実は世界を説明する理論であることには変わりない。その点では科学も、というか科学理論も同じだ。単に、生き残れなかった科学理論も含めて、過去のそうした魔法体系は経験的な検証や論証に耐え切れず、棄却されただけである。
言い換えると、先の発言はそういう世界観に基づいていない、ということだ。
∧∧
( ‥)つまり、例えば科学を
権威としてしか理解して
いないのだと
(‥ )科学を経験ではなく、
権威としか見ていない。
しかも、宗教的権威と
魔法的権威、
これらと
科学的権威を
ごちゃまぜにしている
わけさね。
だがこの両者は全然
違っているよね。
この車は耐久テストに合格しました。テストの内容は以下の通り
というのと
これはオレが作った車だから万全
では保証の性質がまるで違う。
∧∧
(‥ )科学がなくなれば
\– インチキ科学もなくなる。
この意見は
保証の性質に違いがあることを
見極めていない、
異なる保証を
ごちゃまぜにしている
そういうことですね
(‥ )推論するにそうだろうな
科学に呑まれなかった
ジャンルの人間の発言では
ないかと思うけどもね。
∧∧
( ‥)呑まれなかったジャンルね
(‥ )科学は侵略的なんだ
いや、
科学は浸食的だ、と
言えばいいかな。
夢を浸食するのは何?
∧∧
( ‥)現実ですね
( ‥)現実という経験は
–□ 机上の空論という夢を
容赦なく浸食してしまう
ならば、科学がすべてを浸食してしまうのは道理。経験とか現実はそういうものだ。阻止できない。
∧∧
( ‥)それに反感を持つ人も
多いでしょう
(‥ )とっくの昔に
呑まれてしまった
こっちからすれば
無駄な抵抗だがな。
それに、浸食される夢はその時点で、現実を説明できなかった駄目理論なんである。オレの車はちゃんと走れるはずだ! と言い立てても、そんなもの、走れないのは車がおかしいのだ。現実が悪いわけじゃない。
∧∧
( ‥)それでも現実がおかしいと
言い出せば
(‥ )それは嘘っぱちになる。
しかし、そんなあなたにお勧めなのが、それこそニセ科学。
∧∧
( ‥)偽の救済だ。
(‥ )だが夢の救済だ。
ニセ科学とはそういうものだ。はるか太古からあったし、今もあるし、はるか未来にもあるだろう。科学がない時代からあったし、科学があってもあるし、科学が消失してもあるだろう。役立たずの夢を捨てられない人間が泣きながら救済を求める時、それは現れる。
∧∧
( ‥)対価を要求してね
( ‥)現実の前に浸食される
夢を救うには現実を
捨てるしか無い、
だが現実は捨てられない
だとしたら嘘をつくしかない
存在そのものが二枚舌になる
それが対価だ。
人生はきらびやかな、しかし単なるメッキに成り果てて、幸福の中、嘘まみれになって終わるだろう。夢ってのはしょせんはそういうものだ。