2012年11月15日木曜日
世の中、馬鹿ばかりと絶望することはない
平均的な人間がいるとする。単純に考えて人類の半分は自分以下の出来、ということになる。
∧∧
( ‥)人間は自分よりすぐれたものに
関心を寄せる。言い換えれば
その人にとって人類の半分は
論外な存在になると。
(‥ )世の中、馬鹿ばっかり!
そう吐き捨てるだろうな
そして絶望するだろう。
なにせ人類の半分が自分
よりも劣った存在なの
だからね。
実際には自分と同等が大部分で、優れた人が少数、自分よりあからさまに劣った人がこれまた少数、そういう分布をするはずなのだが、劣った人が10パーセント、20パーセントいる、というだけでも耐えられないか、あるいは癇に障ることだろう。どっちの分布でも絶望は多分、同じ。
∧∧
(‥ )民主制の本質は衆愚制だとか、
\– 民主制は馬鹿の馬鹿による
馬鹿のための政治だ
そう揶揄する人がいるのも
そのせいですかね?
(‥ )そうねえ、自分より
”劣った”選択肢を選んだ
人が1割いる、というだけ
でも理解できないし、
絶望するし、仰天するし
世の中馬鹿だらけだと
あからさまに軽蔑する
だろうね。
∧∧
( ‥)でも? あなたは言いますよね
民主制に知性は必要ないと
(‥ )政治家AとBが
選択肢AとBを
それぞれ提示する、
当選した政治家が選択肢を
実行する。
失敗=>落選=>対案へ移行
この過程に必要なのは
提案、当選、落選、痛い
それだけだ。
この過程において知性の必然性はまったくない。提案自体はサイコロでも出来る(民主制において実のところ政治家はサイコロでも良い、ということでもある)。
∧∧
( ‥)ひらたく言うと
(‥ )必要条件は
失敗したら死ね
それだけさ。
∧∧
( ‥)失敗したら死ね、そう言うと
烈火の如く怒る人いますがね
(‥ )別においちゃんが殺す
わけじゃないけどな。
崖っぷちを歩く事を
失敗すると死ぬだろ?
それだけの話だよ。
あるいはこう言えばいい? 死は必ず訪れるわけではない。だからそんなに恐れることはない。
ただし、誤った選択肢を選ぶと、必然的に死が接近してくる。これはまったくの事実。提案した政治家にも、選んだ選挙民にも。
いや、むしろ、愚策を選んだ選挙民と、さらには、これが理不尽と言えば理不尽の極みだけども、選ばなかった選挙民、その双方こそが責任をとることになる。
∧∧
( ‥)意外と政治家のみなさん、
逃げおおせますからね
( ‥)政治家は落選ですむが、
–□ 有権者は死ぬ可能性が
増えるわけでね、
それが”痛い”という
ことよ。そして
痛いからこそ、
機能するのだ。
実際、痛くて不愉快だから逃げるし、失敗の痛みに恐れおののくから新たに選ぶのだ。痛くなければ、ようするに責任をとって死ななければ、前に進めない。
∧∧
(‥ )まあ、こたびの政権交代は
\– ずいぶん痛かったみたい
ですね
(‥ )選んだからには責任を
とらなきゃいかん、
たとえ、選んでいなくても
責任をとって死ぬ可能性が
ある。それが知性なくして
答えを探せる民主制の根幹
まあ、世の中、馬鹿ばかりだと絶望することはない。
ただし、このフィードバックの過程で必ず、誰か死ぬ。