2012年10月19日金曜日
破綻した論理で満足するのが好き
神なんていない!! それは科学的に証明されている!! そう力説する人は、まあ、結構いる。なんか無駄にインテリな人に多いっぽい。
∧∧
(‥ )...科学は神様抜きで自然を
\– 説明することに成功した
それだけですよね。
(‥ )あっ、神様、出番ないです
そう言っただけで
楽屋や控え室に神が本当に
いないかどうか、それは
分からんのよな。
ある概念が必要とされていない。
それはしかし、その概念が存在しない、ではない。
ある概念が必要とされていない、ゆえに存在しない。これは明らかに論理がおかしい。
*一応、書いておくと、”神がいる”ことが証明されたこともない。
∧∧
(‥ )なぜこういう破綻した理屈を
\– 意外に皆さん使っちゃうの
でしょうね?
(‥ )定義をする、それを前提に
論理的に組み上げたものは
すべからく正しい。
そういう発想をするという
ことだろうなあ。
もちろん、これにはあらがある。あらがあるから間違っている。しかしあらがあるのに論理的だと考え、ゆえに正しいと確信してしまう。
論理が好きなのに論理がおかしい。
これが謎
∧∧
( ‥)あなたがたおサルさんは定義と
論理が好きなわけですか?
(‥ )より正確に言うとだな
:安易な定義で満足するのが好き
:破綻した論理で分かった気になるのが好き
( ‥)こういった方がより
正確だろうね
∧∧
( ‥)難儀なサルだな、おい
(‥ )認識的に満足した、と
いうかだな、認識的に
これで筋が通った、と
思った=論理的だ!!
と思うのだわさ。
∧∧
( ‥)安易なサルだな、お前ら
だが実際の話、この世は論理ではどうにもならない世界であるらしい。
∧∧
(‥ )例えば、経験を論理で正当化
\– することはできませんからね
(‥ )100万回、太陽が東の
地平線から登るのを見ても
だから論理的に明日太陽が
東から上がります、
とは言えないわけなのよな
そればかりか我々が使う発想の中には論理でも経験でも正当化できない、得体の知れないものがある。というかそっちの方がむしろ多くて重要かもしれない。
∧∧
( ‥)定義、前提、論理から成り立つ
数学ですらそういう面があると
(‥ )無限に続く足し算
(マイナスを含む)
これを解く時、有限の計算
と同様、簡略化のために
順番を変えて計算すると
複数の解が出てくる。
おかしいと皆が頭を悩ませた
その時、ある人、曰く、
無限に続く計算は順番を
変えてはいけないんじゃね?
と・・・。
確かに言われれば有限の計算と無限の彼方へ開いてしまっている計算は同じように考えてはいけないんだろう。
∧∧
(‥ )でも、見ようによっては問題を
\– 解くために恣意的に
新しい定義を導入したように
見えますよね。
(‥ )新しい定義、新しい関係性を
導入して問題解決を図る。
数学だけでなく、
自然科学でも
同じことをする。
あるいはむしろこう言えばいい?
定義と前提と論理だけから成り立つ、まるで完全な人工物であるかのような数学でさえ、自然科学と同様、得体の知れないものを理解し把握するための手段が使われている。
∧∧
( ‥)ある人が、数は実在する、
と言っていましたよね。
*「「無限」に魅入られた
天才数学者達」早川書房
アミール・D・アクゼル
pp233参照
( ‥)確かになあ、無限に関わる
–□ 関係式で、どうしてなのか
なぜなのか、いきなり
アレフのオメガ4
という形で自然数が
出てくるとびびるよな。
∧∧
( ‥)数でさえ、論理や経験では
正当化しきれないような
発想が必要であるとしたら、
世の中のずさんな論理主義者
の皆さんは一体なんでしょうね
(‥ )人間というサルが示す認識
なのだ、と言えばそうだけど
それこそ不可思議だよね。
ただ、彼らが概して”分かった”と確信してしまう人々であり、しかし当然、その理屈にはあらがあり、そしてこれまた当たり前なのだけど、大した業績を上げられない人々であるのはおおむね言えるっぽい。