2012年9月25日火曜日
ギリシャ帝国の黄昏
*の続き
∧∧
(‥ )でも、アルキメデスさんの著作
\– が10世紀に書き写されて
13世紀に洗われて祈りを
上書きされたのって
暗示的ではあるのですね
(‥ )今のイスタンブール、つまり
コンスタンティノープル
それは東ローマ帝国の帝都
領土の西半分の喪失
イスラームによる北アフリカ
の喪失。混乱から抜け出た
9から12世紀は帝国が
再び輝いた時だ
マケドニア・ルネサンスと言われる、科学、技術をも含めた文化振興が起きた時代であったという。
∧∧
( ‥)でもマンツィケルトでの大敗
さらには第四回十字軍による
帝都の一時的喪失。
12世紀にはそういう文化振興
の勢いは消えてしまうと
(‥ )その時代にアルキメデスの
書が祈りの書へと
上書きされてしまう
わけだから、かなり
あからさまな話よな
もちろん、ちゃんと文献をさかのぼって確認しなければいけないことだけども。
∧∧
(‥ )ローマ帝国は、科学、数学
\– に関してほとんどまったく
何の貢献もしなかった
というのは、事実上の
ギリシャ帝国になった
後代でも同じ、ということ
でしょうか
(‥ )ギリシャはメソポタミアの
科学、数学を発展させた
国だったのに、
それを受け継ぎ、保全、
発展させたのは
キリスト教化した
ギリシャ帝国ではなくて
イスラームであった
この違いはなんだろうね?
∧∧
( ‥)国家イデオロギーである
宗教のあり方に違いがあった
そういうことでしょうか?
( ‥)んー、クルアーンを
–□ きちんと読まなければ
だめってことかなあ
基本、最後の預言者と
イスラームは科学、
文化、書物を
より重要視している
イメージだけども
確かに、キリスト教帝国において、その宗教は許しの宗教ではなく、崩壊へ向かう帝国を締め付け、苦役を神の言葉に置き換え和らげた、いわば偽りの幸せを標榜した宗教帝国であった。そう揶揄されることもある。それが事実であったのか、あるいはキリスト教の呪縛から逃れたいと願った近代啓蒙期のヨーロッパ知識人達が上げた抗議と絶叫であったのか、現状、良く分からない。