2013年3月3日日曜日
本を数年かけて読む
∧∧
( ‥)つまり?
( ‥)一冊の本の背景には膨大な
本の系譜がある。
ひとつの意見の背景にはその分野でつむがれた長い歴史がある。
∧∧
( ‥)もちろん、安易な背景、
安易な本、安易な意見も
ありますが
(‥ )それもしかり、
しかし
そうでないもまたしかり
歴史学だろうがなんだろうがそうだし、数学と自然科学はそれが非常に顕著だ。
∧∧
( ‥)数学者でも科学者でも
安易なことを安易に
言ったり書いたりする人も
いるんですけどね
( ‥)それもしかり
だが、問題はだね
その本とその意見が安易だ、と言う時、そのジャンルのことを自分は知り尽くしているのか?
∧∧
( ‥)知っていると思っていても
全然知っていないことがある
(‥ )困ったことにだな
知っていたら知っていると
思うのが当たり前なのだ。
自分が知らないことは認識できない。だとすると自分が知っていることは知っていることのすべてであり、ゆえにすべてを知っていることになる。
∧∧
( ‥)だがそれは客観的には
事実ではない。
( ‥)だから知らない知識や前提に
–□ 基づいた文章の意味を
理解できないのだ。
いや、事態はもっと深刻である。
”あからさまに”こうだ、と書いてあるのに、それが見えない場合がある。
∧∧
( ‥)そういうのって普通に
起こることですよね。
重いものと軽いものが
同じ速度で落下する、
これに 疑問を持つ人は
多いけど、そんな人でも
宇宙ステーションの
無重量状態は見たことが
あるはずなのですよ。
(‥ )重量に応じて
落下速度が違うのなら、
あんなことには
ならないからな。
重さが違っていても落下速度は同じなの?? 今、目の前でそれが実演されてます。
だが気づかない。
目の前であからさまに起こっているのに、知識や前提を共有していないから、それが面前で見えているのに認識できないことがある。以上のようにこれはまったくの事実。
∧∧
( ‥)だから次のようなことが起こる
知っていることしか
書いていない退屈な本だ、
そう思って数年後、
もう一度読み返してみると
知らなかったことが
ずらずら書かれていたことに
気がついてしまう。
(‥ )理解は仮説だ、
本の内容を理解するには
1回読んでも”理解”できる
しかし、
その本の背景にあった論文
考察、探求の長い歴史を
把握すれば、まるで違う
理解と文脈が見えてくるのだ
文章の意味さえ違ってくる。
つまり、私たちは、その時、自分が手にしている知識と理解の範疇でしかその本を理解できない。そうである以上、本を読むにはその本を読むだけではまったくもって不十分であることは明らかだ。本を読むための本を読むための本を読むための本を読まねばならぬ。
本を読むには、その本を読む時に必要になる本と、その本を読むための本と論文の知識を結集しなければいけない。
∧∧
( ‥)つまりですよ
( ‥)1冊の本を読むのに数年
–□ かけないような人間の
意見は信用できない。
∧∧
( ‥)要するに
(‥ )オレ、書評サイトとか
信用できんのよね
個々の読む速度が速すぎる。あれではいくら通読した数が多くても、それは浅い理解の累積にしかならないだろう。つまり、おそろしくずさんでいい加減なことをしているとしか思えない。