2013年3月9日土曜日
それは、客観的に馬鹿、とされていないか?
hilihiliのhilihili: 難しいことを簡単に説明できる人の続き
物事には強烈に影響を与える要素もあれば、
∧∧
( ‥)ほとんど影響を与えない要素も
ある
( ‥)難しいものを簡単に説明する
–□ とは、しばしばこの重要な
要素だけを教える、
ということだったりする。
例:支えのない物は落下する
∧∧
( ‥)実際はそんな単純なもの
ではないですよね
大気中ですと空気の抵抗
空気による浮力も存在しますし
(‥ )ヘリウムガスを充満させた
風船が浮かぶ
非常に小さな物体はほとんど
落下せずに舞い上がる
密度に対して表面積の大きな
物体もしかり
もしも本当に、気圏内部における物体の落下の挙動を知りたいのなら、「支えの無い物は落下する」という簡単な説明以上を把握しなければならない。
∧∧
( ‥)でも、それを言い出したら
今度は難しいことを難しく
説明する人だ、と言われる
(‥ )要領が悪いと言えば悪いのだ
ただし、説明自体の
正確さは向上しているわけさね
これは、言い換えるとこうだ。
聞き手は”難しいことを簡単に説明する人”を良しと評価する、これは実のところ、聞き手は正確な説明なんか求めていない、ということなんである。
∧∧
( ‥)視点を変えれば、
聞き手は正確さなんか
求めていないのだ、
これに気づいた人は、
重要だけど正確さにおいて
劣った事柄だけ話すのだと
そして、それが、
”分かりやすい”の正体。
( ‥)そういう意味でいうと
–□ 難しいことを簡単に説明する
人が客観的で要領がいい、
というのは正しいのだよね
ただし、その客観的で要領がいい、というのは、聞き手を人間というよりも、サルやイヌのような動物だとしか思っていない。そういうことではないか?
∧∧
( ‥)聞き手を馬鹿にしてる?
(‥ )そうかもしれない。
だが違うかもしれない。
事実、聞き手は、「難しいことを簡単に説明する人」は、客観的で要領がいい、と評価したのではなかったか?
だとしたら、そういう人が下す、「こいつらは与えられた命令を1つ程度しかこなせない、だから話す内容は極力単純化しなければならぬ」、という評価は客観的だ、ということになる。
つまり「難しいことを簡単に説明する人」は、聞き手が客観的に言って馬鹿であるという事実を申し述べているだけであって、馬鹿にしているわけではない。