2020年3月1日日曜日
肺炎は死者だけで1日300人
ちょっと検索すると2016年における肺炎死亡者数が出てきた。
∧∧
(‥ )その数11万9300人
\− およそ12万人
1日あたり327人が
亡くなっている計算
(‥ )この中から新型肺炎を
見つけ出せ言われてもな
死亡の中心は男性で85、女性で90。結局のところ新型肺炎の重篤患者と有様が変わらなかった。そして肺炎に治療法はあるが、特効薬があるわけではなかった。呼吸を楽にする薬と抗生物質による細菌の抑制。基本的にそれだけである。
∧∧
(‥ )twitterで見たら
\− 軽症だったら肺炎でも
入院できないんですか?!
とつぶやいている人が
いたけども
肺炎で入院するって
呼吸器が必要とか
そういう重篤患者だよね
(‥ )それだって治療というより
根本的には
死なないための対応だよな
そうである以上、新型肺炎の検査など受ける必要はなかった。どうも咳が激しい、おかしいなと耳鼻科へいって、内科を進められ、レントゲンをとられて肺炎が見つかり、薬を処方される。それだけのことであった。
以上の作業過程で新型肺炎かどうかを知る必要はどこにもないのである。
そして自分は肺炎になったから、これは新型肺炎かも! 検査させてくれ! という声に意味がないことも明白であった。肺炎は死者だけでも1日300人以上であり、症状を呈した人はもっと多いだろう。肺炎になったから即、新型か? と言いたてるのはどう考えても理不尽で無意味な推論でしかない。
そんなもののために割く資源はないのである。
∧∧
(‥ )しかしそれでも満足できない人が
\− twitterで大騒ぎ
韓国や諸外国では検査してる
同じことをすれば良いだけなのに
なぜ怒りを政府ではなく
検査を望む私たちに
むけてくるのだろう?
と言ってる人がいますね
(‥ )そりゃあ医療崩壊を
引き起こしかねない
ご要望だからな
検査してくれという望みは
究極的には殺人に等しい
検査を望む人間は、検査だけに目をむけている。一方、検査に反対する人は検査による医療崩壊の可能性を考えている。だからまったく意思が噛み合わない。
検査を望む人間は私の不安を救済してと言っているだけだが、他人からすればそれは人殺しだ。
そして感染者の方が少ない以上、検査を望む人間は少数派であった。つまり数で絶対的に負けるのである。すなわち、検査を望む人間は検査による医療崩壊を危惧する多数派に、絶対的に敗北する。
実際、安心感は個人のものでしかないが、安全は皆のものであった。そうである以上、検査という安心感を望むこと。これが許されることはない。
∧∧
( ‥)しかし検査要望派のような
少人数でも一部の強烈な
クレーマーのような人が
ゴリ押しで検査を要求して
医療体制が飽和して
崩壊するかもしれない
医療体系は需要に応じた
ものである以上
1%の要望が3%に
なっただけで飽和しうる
なんといっても
勤務8時間の3倍は
24時間ですからな
( ‥)その恐怖があるから
−/ 多数派は少数派を
絶対に
許さないだろうな
今、検査を望む人間は裏切り者としてリンチにあって吊し上げを喰らうだろう。理不尽極まりないが、実際問題、このような同調圧力こそが戦線を維持できる。戦線とはいつだってそういうものだ。
抜け駆けすることで皆を死に追いやるものには即座の惨たらしい死を!
このような抑制があるから人は恐怖を押し殺して戦線に立っていられる。そして勝つ。
なぜ検査を望む私たちに怒りを向けるのだろう。このつぶやきはそういう圧力が存在し、効果を発揮していることを意味していた。
∧∧
(‥ )なかなか良い感じですな
\−
(‥ )あとは検査優先の国が
医療崩壊するかどうか
それを見極めようぞ