2019年7月5日金曜日
大英帝国衰亡史
日付は変わってすでに5日だが、これは昨日、2019年7月4日の話。
また急に雨が降って
∧∧ 即座に止んだ
( ‥)
‐( ‥)雨が降る範囲が
相変わらず狭いのだ
町の南は雨が降っていなかったようである。冷たい空気と熱い空気がぶつかりあう空は、相変わらず曇天で、雲は目まぐるしく様子を変える。
∧∧
( ‥)でっ? どうなんだ?
( ‥)単純に言うとだな
‐/
はるか太古、石炭紀の時代、熱帯に位置したイギリスは、石炭が豊富な国であった。これゆえに産業革命を成し遂げた。
だがしかし、イギリスの産業は先発であったからこそ、機械化、効率化で遅れていた。そうして19世紀後半には後続のドイツ、アメリカに追い抜かされた。
∧∧
(‥ )でも良質の石炭を
\‐ 産出するがゆえに
イギリスはいかにも
先進国でいられたのである
(‥ )でも結局
イギリスの炭鉱は
古くてなあ
これなんとか
合理化しないとダメだ
というところまで
きたんだよな
ひとつのアイデアは炭鉱を国有化しよう、ということであった。国有化すれば国のお金を投入して炭鉱を近代化できるからである。
∧∧
(‥ )ところが結果的にそれは
\‐ 労働組合が強大な権限を持つ
圧力団体ができただけだった
(‥ )それを打倒したのが
1984年、5年の
労働争議と
サッチャー首相の勝利だな
そしてサッチャー首相は経済学者ケインズの考えが嫌いだったそうだ。
∧∧
(‥ )ケインズの言う
\‐ 国家の介入による
公共事業と景気刺激策
それは大きな政府であり
それは度の過ぎた
福祉国家であり
それが
イギリス人の勤労意識を
奪った...そういう理解を
したみたいね
(‥ )イギリスってほとんど
事実上の社会主義国家に
なりかかっててな
それを打倒しようとした
サッチャーからすれば
ケインズの経済政策とは
そういうものに見えた
ということらしい
こうしてケインズ政策は無視されて、ここから新自由主義が生まれる。つまり、政府は小さく、支出も小さく、福祉を削減、人々の自助努力に任せる。確かに人は一定収入が保証されると歩くことをやめる。だから歩くことをうながす。サッチャー首相はそう考えたし、彼女はこうして新自由主義の先駆けとなった。
しかしこれ、支出を削減すれば景気は回らなくなるし、勝ち組だけが利益を独占して格差が広がることを意味するし、事実、その結果の世界が今である。
そしてサッチャー首相が行なった数多くの政策。そのひとつである金融自由化政策。これは大成功した一方で、しかし、繁栄する銀行業と裏腹に製造業がダメになった。労働組合と炭鉱閉鎖で生じた失業者は吸収しきれず、まあ吸収のしようもないのだが、いずれにしても成功者とそうでない人の格差はこうして生まれた
∧∧
( ‥)でもこれらの問題も
銀行業の繁栄と経済成長で
しばらくは
目につかなかったのである
( ‥)ところが2008年の
‐/ リーマンショックで
銀行業が壊滅
福祉を削り
緊縮財政へ舵を切り
皆を働く道へと
押しやったのだが
時すでに遅く
EUだから東欧からの
低賃金労働者に仕事を
奪われていて
働き先がなくなっていた
2011年にはあの
大暴動が発生する
ここから現在。以上のような不満を反映したゆえのEU離脱となった。しかし国内産業はダメになったままであり、EUから離脱すれば関税も復活する。そうなるとイギリス国内の工場をもっていてもしょうがない。ホンダもフォードもイギリスから撤退するわけで、職は当然失われる。
∧∧
(‥ )良かれと思った政策と決断が
\‐ ことごとく裏目に出てるのが
イギリスなのか
(‥ )今は苦しくとも
後の世代のために
一からやり直すしか
ないだろうな