2018年7月2日月曜日
自分の金でないと人間の言い訳は雑になる
∧∧
(‥ )研究は馬券のようなもの
\‐ はずれ馬券も買うから
あたり馬券も買えるのです!
(‥ )ははっ?
それがまじで研究者の
言い分かい?
正気かよ?
もう金がないから馬券に回せる予算はこれだけです。
そう言われたら、買える馬券は10枚のみ! それでも当たり馬券を引くにはどうするか? 飲んだくれ親父だってもっと真剣に考えるだろうに
∧∧
(‥ )ところが研究者という
\‐ 立場でありながら
飲んだくれ親父よりも
はるかに雑な
言い訳を言い出す人々
(‥ )研究者だからかも
知れんぞ
自分が受験戦争と学歴を勝ち抜いた人間だ! そう思った時に、得られる金は勉強という努力の対価、無条件に当然、手にできる当たり前の対価だと考えるだろう。
他人の金を予算として使い、無駄になるかもしれない、だがそれでも必要だと言い訳できた時に、他人の金を使いまくることになんの罪悪感も抱かなくなるだろう。
人間は自分に都合の良い方向へ思考が変形する。そこには必ず甘えが存在する。言い訳を持った時、人はどうしても判断が甘くなるのだ。
∧∧
( ‥)だからはずれ馬券といえば
それで言い訳できると
思い込んでしまうのだと
( ‥)他人の金だからだよ
‐/ 自分で稼いだ金なら
飲んだくれ親父でも
もう少し言い訳が
切実になる
反対に、他人の金なら、研究者であっても、あたり馬券を引くにははずれ馬券を買いまくっても良いでしょうと、こんな雑な言い訳で良しとする。これが人間の思考というものだ。