2018年2月15日木曜日
光合成単細胞真核生物と書く意味とはなんぞ?
文章を正確にすると、それは無限大になり人体と脳の許容量を超えてしまう。
反対に文章を分かりやすくすると、それは脳の認識論に沿ってゆがめられて、現実から乖離してしまう。
∧∧
( ‥)そういう意味で言うと
(‥ )分かりやすい
文章作成術とは
ようするに
漫画作成術だよな
描写が正確な漫画は作業と読み取りが無限大となり、書き手も読み手もそれについていけない。
反対に分かりやすく効果的にすると、それは脳の認識論にそってゆがめられ、現実から乖離する。
∧∧
(‥ )問題はどこを省略して
\‐ どこに重点を置いて
見せるかだよね
(‥ )文章作成術も同じ
そう思えば
文章作成を
どう操作すれば良いか
なんとなく見えてくるよな
例えば植物プランクトンを光合成単細胞真核生物と書いた研究者がいる。
∧∧
( ‥)まあ正確な表現だね
昔は
光合成生物=植物だったけど
実際には光合成生物は
多系統だからね
ワカメのような褐藻類は
緑色植物とは別系統だし
植物プランクトンの多くも
また同様
(‥ )だけどさ
地質の話をしている時に
植物プランクトンを
光合成単細胞真核生物って
書いて一体どうするんだよ?
例えばの話、気象の話をする時に、地球の重力加速度は9・8メートルですなんて、お前はわざわざ書くのか?
∧∧
(‥ )重力とその値は気象現象に
\‐ 絶大な役割を果たすけど
通常その説明をする必要は
ないよねえ
というかしてはいけない
(‥ )本筋と関係ない場面を
細かく描写して
漫画全体を破壊してしまう
ようなものだ
でも正確さに
こだわるやつは
これやっちゃうんよね
あと、専門用語や横文字をぞろぞろ書いてしまう人
∧∧
( ‥)自分が知っていることは
他人も知っているだろうと
やっちゃうのねー
科学者やオタクや
プログラマーがやりがち
( ‥)新キャラをぞろぞろ
‐/ 出しちゃうような
ものだよなあ
考えて見れば漫画の新キャラ複数登場はなんとか四天王とか、なんとか五人衆とか、そういう大きなくくりのA、B、C、みたいな感じで出すのである。つまり複数に見えて実はひとつという配慮。
∧∧
(‥ )孤立した専門用語を
\‐ ばらばら出しちゃダメですぞと
(‥ )孤立した専門用語を
大量に出しちゃうなんて
本筋でない背景に
通行人山田花子年齢27
身長体重と勤め先は...
その後ろの子供
大口大介は...
さらにその背景のビル
寺沢ウェストヒル5階建
建築は平成18年
みたいにいちいち書く
ようなものだからな
ではひとつの区切りに登場する専門用語や横文字はいくつまでが妥当であろうか?
∧∧
( ‥)一個だけだとつらいし
10個は明らかに過剰だし
(‥ )3個ってところかなあ?
このように考えると、例えば
恐竜が栄えた時代は三つにわけられていて、古い方から三畳紀、ジュラ紀、白亜紀と呼ばれている。恐竜は鳥を抜かして白亜紀の最後に滅びた。
そう書くのが、ひとつの文章の限界だということになる。
∧∧
(‥ )三畳紀、ジュラ紀、白亜紀
\‐ 一回に登場させられる
専門用語は三つぐらいが
脳容量の限界だろうと
(‥ )まあ単なる羅列なら
古生代は古い方から
カンブリア紀
オルドビス紀
シルル紀
デボン紀
石炭紀
ペルム紀よりなる
そう書けばいいけど
この場合は誰も
読んでないってことだ
あとでもう一回説明
し直さなければいかん
∧∧
( ‥)あと注意点とすれば
なんですかね?
(‥ )人間は
長い文章を読めないから
Aの状態はBである
Bの有様とはかようである
Bが成立するには条件Cが
必要である
Cとはかような状態である
全部それぞれ別の文章に
区切ることだろうな
人間は知っていることになると、
Aを条件Cで成立する状態BにするにはCをこのようにしなければいけない
とか、全てを一文に詰め込みがちだ。しかも一文に結合するために色々な接続詞を使うし、当然、接続詞の使い方には微妙な齟齬がある。つまるところ正確に書いたつもりでも文章の意味が壊れてしまう。
そんなことになるよりは、分解、再編成した方が良い。こうすれば誤謬は可能な限り低くなる。そしてもちろん、目的と主題を忘れてはならぬ。目的と主題以外は枝葉末節にすぎぬのだ。
∧∧
(‥ )漫画でいうと
\‐ 一見すると複雑に見える話も
複雑に見せているパーツは
あくまで枝葉で実は装飾
話の軸はしっかり握って
書き手自身が離さない
そういう状況が望ましい
(‥ )植物プランクトンを
光合成単細胞真核生物と
書くのはその意味では
最悪の悪手だと言えるよな
主題と関係ない
そんな場所で
読者を煙に巻いて
どうするんだよ
まるで無駄に難解な漢字を使いたがる中二病患者ではないか。だがしかし、研究者もオタクもプログラマーもこれをやる。というか、よく把握した分野を話題にするのであれば、誰であってもこれをやってしまいがちだ。