2018年1月16日火曜日
古代ギリシャの筆算
∧∧
( ‥)どうした?
( ‥)んー
‐/ 本を読み直していたら
ギリシャ人でも
筆算できたんだな
ατνα
ατνα
MMMα
MMMετ
MMεβφν
ατνα
ρπβ
Mεσα
∧∧
(‥ )ατναは
\‐ 正確に書くと
αに’みたいなのがついて
1000を示す記号に
なって
1351を示すのだね
(‥ )最後以外省略したけど
一万を示すMには
数字に応じて
それぞれ頭の上に
100を示すρや
80を示すπがついて
いるのよね
そして最後の数字は漢数字で書いた方がギリシャ数字と対応する。
百八十二万五千二百一
∧∧
( ‥)つまり
1351×1351は
1825201である
と書かれている
( ‥)そして見ての通り
‐/ 途中で
現在の我々の筆算のように
数字ごとに掛け合わせて
出した数値を並べて
いるんだよな
それを最後に
足しているんだな
ただ、現代の筆算と逆で、桁が大きい数から掛け合わせて、そうして桁の小さい方へ、つまり右へずれていく。
∧∧
(‥ )それって
\‐ 桁を理解していると
言っていいのか?
(‥ )多分、理解してないね
少なくとも現在のような
筆算の理解とは
違うっぽいなあ
なんでかというと掛け算すれば桁が大きくなるのに、なぜ小さい方へずらす? ということもさることながら、参考文献の記述が原本そのままだとすると100万の下に30万を並べたり、30万の下に9万や5万を並べているので。
∧∧
(‥ )筆算とはいっても
\‐ 1000に1000を
掛けたらから
答えは100万だ
と書き記しているだけ
みたいですね
(‥ )我々の筆算だと
1351
1351
×____________
1351
6755
4053
1351
1825201
という具合に桁ごとに
ずらして書くし
この過程ではどれも
一桁の掛け算だしな
1000の位を掛け合わせた時も、現在の筆算では1000×1000ではない。1×1である。最後にすべての数を足し合わせた時、その1が桁の位置から100万と判断されるだけである。
∧∧
(‥ )古代ギリシャ人は
\‐ 筆算ができただろうけど
僕らのようなものでは
なかった
似て非なるものだった
ということだね
(‥ )日本人だって
漢数字だけで
筆算の真似事ができるけど
それって
筆算じゃないよな
計算を
書き留めているだけだ
古代ギリシャの筆算も
そういうものじゃね?
文献「ギリシャ数学史」共立出版では、こうした計算術の確立ゆえにギリシャでは計算板(算盤の祖型)が失われたと書くが、これはどうもよくわからない。
∧∧
(‥ )計算板が残存しなかった
\‐ だけかもしれませんしね
(‥ )計算板が木製なら
残るわけないしな
事実、発見された
事例はほぼ皆無
彫刻とか絵に
描かれているだけだ
それに、同じローマ帝国の残骸である西欧ではローマ以来、ローマ数字が使われ、計算板がそのまま使われ続けたということ。この事実と、ギリシャでは計算板が失われたという主張は整合しない。
∧∧
( ‥)まあギリシャ数字は
帝国東方のみのものなんだ
だから帝国西方の事情と
切り離して考えるべき
とか説明することも
できるだろうけど
(‥ )本当に
算盤を駆逐するほど
便利だったら
帝国西方でも算盤を駆逐し
さらにはローマ数字に
取って代わったはず
だからな
ギリシャ数字の筆算は
そういうこともできる
だけのものだったんじゃね?
*ちなみにここでの古代ギリシャとは、ローマ帝国の東西分裂と中世初期、そのぐらいまでも含みます。