2017年11月8日水曜日
誰でもツイートするにはネタ切れ気味なので
映画、テレビ、ラジオ。いくら媒体が変わっても演じる俳優が同じなら何も変わらない。
それと同様、電子化しても世界は変わらなかった。少なくともその根底は。
ツイッターや2chは「ぴあ」の欄外、余白の読者投稿欄と変わらない。
そういえば思い出す。ホモ雑誌とかSM雑誌とか、そういうアングラ系の情報誌は90年代を過ぎ、21世紀に入って急激に衰退した。今ではどうも事実上絶滅したようである。この趨勢はネットの影響が大であったと聞く。
少なくともある人が説明して曰く、かつてそういう雑誌が持つ読者投稿欄は、同好の士と出会うためのほぼ唯一の手段だった。だがネットの出現でその意味はなくなり、必要性を無くした雑誌群は購買層を失い、消滅したと。
同じようにネットの時代、かつて映画、演劇、様々な情報を掲載し続けた雑誌「ぴあ」も消えた。もうあの雑誌も、そして欄外の投稿欄のにぎやかさを覚えている人間もほとんどおるまい。そういえば人気のある投稿者に”さみしい女王様”とかいうペンネームの人がいたと思うが、自分のそういう記憶もうろ覚えである。
かように新しい媒体は古い媒体を駆逐した。それは新しい媒体が画期的であると同時に、実は前と同じものであったからだ。さもなければ置き換わりなど起きない。
ツイッターも、新しく見えるが、それは「ぴあ」の読者投稿欄であり、アングラ雑誌のプレイメイト募集でもあり、そして井戸端会議の、酒場の愚痴の延長であった。
∧∧
(‥ )座間の事件で
\‐ ツイッターを規制しようと
言う人もいるけど
そんなの無意味なのである
(‥ )ツイッターも
プレイメイト募集も
怪しげな同好会も
何もかも
それは以前からあった
わけだからな
それに確率的に起こることはどうしても起こる。阻止はできないし、阻止してもしなくても、それはごくまれに、しかし必ず起こる。
∧∧
( ‥)つまり確率的に結果は同じこと
規制しても規制しなくても
同じこと
( ‥)つまりな重要なのは
‐/ 規制が是か否かではない
規制を叫ぶことで
彼は何を手に入れようと
しているのか?
そこが重要なのだ
警察なら新たな天下り先や利権獲得のための規制団体設置であるか?
いや、そこまで難しく壮大に考える必要はない。そもそも人間はいますぐに利益を得られるからこそ、意見と主張を述べるのである。
では規制派が今すぐ得られる利益とは何か?
∧∧
(‥ )もっともらしい正論を
\‐ 述べることで
賛同者の賞賛を買い取り
反対する人間に対する
社会的優位を確保したい
(‥ )まっそんなとこだね
人間の主張は所詮はさえずり、ツイートにすぎぬ。正論とは、俺のさえずりを聞け! という要求であり、それは社会性動物である人間にとって大きく、即座な利益なのだ。
∧∧
(‥ )自民党の山本一太議員さんが
\‐ 座間の事件は猟奇ゲームや
漫画の影響だから
規制すべきと述べたと
(‥ )ああ、あの少し
眠たい顔の人だよな
あの事件、そういう事件じゃないだろ? という話はどうでもいい。ゲーム規制をしている議員だから、なんでも規制に結びつけるのは選挙の票田狙いだろ? という正論もまあここでは置いておく。
∧∧
(‥ )政治家なれば当然
\‐ 票田なれば当然
でもそれ以前に
人間はさえずり
ツイートしなければ
ならないのである
(‥ )何が起きても安倍ガー
とか言うリベラルと
同じようなもんだ
誰でもさえずりたいが
ネタ切れ気味でな
ツイートする時は
我田引水でもいいから
今話題の時事ネタから
無理矢理
自分に都合の良い結論を
こじつけてさえずるもので
あるのだよ
ツイッター以外のすべての言動も、それはツイッターと同様のさえずりであるのだと解釈すれば良い。そうすれば、便乗、こじつけ、クソリプ、パクツイ、あらゆる言動がしかるべきものへと分類できるであろう。
∧∧
( ‥)人の本質が同じなれば
すべての言動を
ツイートであると
みなすべきである
その方が理解しやすい
(‥ )ツイッター規制も
所詮はさえずりよな
その根本は権力の追求である。しかしツイートする際、人は大概ネタ切れ気味なので、どうしてもこじつけやねじれが生じるのだ。