正しさにこだわるとは、言って見れば子供が列車に興味を抱くようなものではないのか?
∧∧
( ‥)その心は?
(‥ )大きく目立ち
印象的で
素晴らしいものが
理路整然と
正確に動く
∧∧
(‥ )真理という印象的で
\− 素晴らしい価値観が
論理的に
理路整然としており
正確に動く
(‥ )しかも子供が列車に抱く
関心は非常に強いだろ?
正しさにこだわる論理的な人間が論理に非常に強く執着し、周囲の迷惑を顧みないのも、これと同じではないか仮説。
∧∧
(‥ )しかも論理は大前提から
\− 結論を導き出すという性質上
論理的な人間は
必ず間違いを引き起こす
(‥ )周囲が眼中ない上に
話を聞かず
必ず間違いを引き起こす
論理的な人間がやばいのって
これだからだよな
*人間が抱く大前提から導いた結論が、現実世界で無謬であるためには、大前提が宇宙を内包していなければならない。しかしこれは明らかに間違いである。だとすると論理的な人間は間違った大前提から間違った結論を論理的に導くことになる。つまり、論理的な人間は論理的に言うと絶対的に間違いを犯すことになる。さらに言えば、経験は論理的な行動ではないので、論理的な人間は失敗を経験として生かすという行動が理論上不可能である。かくて論理的な人間はただただ間違いを永遠に反復して死ぬ、という意味。