2017年3月8日水曜日
私は彼に親切を施しました
論理は言葉の関係性を示す。
∧∧
(‥ )つまり言葉で言う文法の
\− ようなものである
(‥ )正確な文法で詐欺ができる
ように
論理と真偽は関係ないんだが
ここを勘違いする連中が
非常に多いのだな
多分、論理を数学の方程式のように考えているのだろう。
∧∧
( ‥)? 数学の方程式だって
間違った数値を入力すれば
間違った答えが必然的に
出てくるべ?
(‥ )それはそうだが
正しい数値を入力したと
信じ込んでいたらどうだ?
疑わないだろう?
数学の方程式も、真偽については関係していない。数値が正しかったら正しいですよ、というだけだ。
いや、実際には方程式が保証しているのは、この方程式は入力に対してこういう処理をしますよ、というだけで、それ以上のことは一切語っていない。
方程式の正しさは現実との観測と整合性で判定されるのであって、方程式自体はやはり真偽について一切語っていないのだ。
∧∧
( ‥)世の中の人は
方程式に対して
なにか神性を感じている
わけだな?
(‥ )方程式というと
正しい答えを出力するもの
という印象が
非常に強いだろ?
それは無根拠な
信仰心でしかないのだが
方程式という言葉は
論理という言葉が持つ
神通力を異様なまでに
強調しているだろ?
ここに宗教の本質がある。宗教と神とは、定義と前提と疑問を抱かないところにあるのだ。
∧∧
(‥ )実際、現代数学の基本である
\− ギリシャ数学は宗教として
始まりましたからなあ
(‥ )論理は宗教でしかなく
すべての宗教と同様に
論理は真理の真偽について
なにも語っていないのだ
ここまでくれば、なぜ論理的な人間が絶えず破綻を引き起こすのかが分かるというものだ。彼らは宗教に基づいて真偽と関係なく、それが真であっても偽であってもまったく無頓着に前進させてしまうのである。
∧∧
( ‥)論理的な人間とは
愚かであると
(‥ )愚か?
そうであろうなあ
だが本当にそれだけか?
むしろ、これこそが目的ではないのか?
つまり真であれ偽であれ、その真偽に関係なく、暴力的に物事を押し進めること。
もちろんそれは権力の行使であり、他人に対して優位に振る舞おうとする暴力である。
∧∧
( ‥)それが論理的な人間
合理的な人間の目的だと
(‥ )人間は利益になることを
する動物なのだぞ?
一見、無意味無駄
利他的な博愛主義に見えて
そこには絶えず
利己的な打算が
練り込まれているものだ
そして論理的かつ合理的な人間は絶え間なく世界を攻撃し、批判し、そして他人を罵倒し、あるいは理想をうたいあげて、我々に協力せよと言う。あからさまではないか。
ゆえにこうである、論理的な人間や合理的な人間がいたら、遠くを展望できる素晴らしき景観の崖に招待するべきなのであると。
∧∧
( ‥)そこで
どうですこの景色は?
これが今
すべてあなたの
ものなのです
そう語って
背中を押すのだな?
(‥ )人には親切にせよと
教えられなかったかね?
そして親切が恐ろしいものであること、誰もが周知していることであろう?
論理的な人間と合理的な人間は発見次第、始末しなければならぬ。
私は彼に親切を施しました。