2016年9月22日木曜日
リテラシーというごまかし勝手の良い言葉で有頂天ランド
リテラシーの高い読者を育ててこそ、彼らが本を買ってくれるのです。しかるに出版界はそれを怠ってきた!! 今の出版不況はそのせいだ!!
∧∧
(‥ )という意見
\−
(‥ )大人なんて
小学生高学年で
頭の出来が
止まっているのにかい?
言ってることが
むちゃくちゃというか
夢を見過ぎだよ
確かに本を読むための訓練は必要だ。
文字を覚えるとか、本を読むことそれ自体を練習するとか、確かにそういうものは読書に必要だろう。
∧∧
( ‥)でもそれは義務教育の
仕事だろ?
(‥ )もっと露骨に言えば
それは自主的にではなく
強制された結果なんだよね
民主主義は巨大な殺戮兵器だ。国民という兵器を総動員するためには、高度な教育が必要とされる。複雑な組織を維持するには数十万文字の文章を正確に読める官僚を育てねばならない。
∧∧
(‥ )それゆえの義務教育なのである
\−
(‥ )欧米という敵の出現で
慌てて整備した
結果であって
自主的じゃないんだな
だから
強制しないといけない
言い換えれば
ちゃんとした本を読む
なんてこと
人間はしないし
出来ないんだよ
こう言うと世の中には激怒する連中がいる。
何をいってるんだ? 俺は読めるぞ! と
∧∧
(‥ )でもお前が読めても
\− 皆が読めなきゃ
意味ないだろうと
(‥ )自分が読めるなら
購買層があるはずだー
とか考える
そういう考え方をする奴は
市場を見誤って
死ぬぞ死ぬ
...というか死んでく奴らを
見てきたよなあ
俺が買うから皆も買うはずだ。
こう言えば以上の発想が致命傷であること、明らかだろう。
消費者がいる=十分な利益を出せる購買層が存在する、ではないのだ。
かように、高度な本を読む読者を育てれば本が売れるという主張が迷信であること明白である。
∧∧
( ‥)そもそも読書できる能力は
強制された結果でしかない
しかるに出版界は読者に
強制することはできない
そして
人間の自主性にまかせて
人が自らを高めていく
ということは
ありえないのである
(‥ )少なくとも
高いリテラシーとやらが
必要とされる本が売れる
なんていう事態は
起き得ないのだ
というか、そんなことが起きなかった結果できたのがこの世界なのである。
だって、読み手側のリテラシーもへったくれも何も、本には普通に読めるものもあれば、読むには高度な訓練を要するものまで、あらゆる難易度のものがすでにそろっているであろう? なれば、読者が望みさえすれば、リテラシーは高度な方向へ動くはずであろう?
∧∧
(‥ )だけど本の難易度の平均値が
\− 高い方へ動くということは
なかったのである
(‥ )出版界はすでに
高低あらゆる選択肢を
用意しているのだ
だのに状況が動かないとは
皆がそんなこと
望んでいなかったという
結果なんだよな
人間は今の世界がすでに起きた結果の累積であるということを認めたがらない。そうして、リテラシーとか何やら色々、得体の知れない概念に飛びついて革命を夢想する。
∧∧
( ‥)でもそれは現在が結果の累積で
出来ているという結果を
無視した計画なのである
(‥ )だからさ全員失敗するんだ
というかさ
読者を育てて賢くすれば
本が売れるはずだー
と挑戦した奴なんて
いっぱいいるんだよ
でもいない。なぜか?
そりゃ全員が失敗したからだよ。
現在が結果の累積であるとは、失敗の累積でもあるのだ。お前達が考えた革命的なアイデアとは、すでに起きた失敗なのである。
リテラシーうんぬんとかいうのも、それは結局のところ逃げでしかないのだ。
現在というこの世界が、すでに起きた結果の累積であるという現実からの逃避。
リテラシーとはその時に使われる逃げ口上にすぎない、だってリテラシーとはまるで具体性にかける言葉であろう?
∧∧
( ‥)本来なら
材料と解析手段を示し
解析手段の妥当性をも
提示した上で
展望を示すべきだのに
(‥ )そういう基本的な開示を
しないままに
いや、むしろしないために
リテラシーっていう
魔法の言葉でごまかしたのさ
解析において一番肝心なエンジン部分をリテラシーという魔法の言葉でごまかしてしまったのだ。そんなずさんな言葉を使う連中の計画の先に成功というものはない。