2016年2月4日木曜日
逃げ出せたらいいなー、と、逃げちゃ駄目だ
神の御使いによる導きで子供たちが新人類へと進化して神になり、残された旧人類は滅亡する物語。
それが作家クラークによる「幼年期の終わり」
幼年期の終わりは傑作SFと言われる。
∧∧
(‥ )エヴァンゲリオンはこれの
\‐ ぱくりと言われるけど
実際には似たところなんて
ほとんど一カ所
”人類が全体でひとつになる”
しかない
(‥ )でも仮にだ
口うるさい連中が
言うみたいに
エヴァンゲリオンと
幼年期が等価だと
考えてみようか
そう考えると、幼年期の終わりがかなり妙な物語であることが分かるだろう。
なぜって、幼年期の終わりでは、人類はひとつの海から還ってこなかった。
∧∧
( ‥)幼年期の終わりって
エヴァンゲリオンで例えれば
シンジ君が海から
還ってこなくて
ゼーレ万歳
人類補完成功!
みたいな話だよね
(‥ )考えてみれば
素っ頓狂な小説だよな
アニメでそれをやったら
炎上待った無しの最終回
これはもともとSFがびっくりさせるファンタジックなオチをつけても許される分野だからかもしれぬ。例えばクラークの小説ではないが、姿を見せぬ宇宙人たちの畑にされた地球が収穫期を迎え、刈り取られた後、人間には食べることも利用することもできない植物たちが再び生えだす。美しいが、人間にとっては不毛でしかない一面の草原を、最後の生き残りたちがとぼとぼと歩いていくところで終わる物語だってある。当然、彼らは死ぬのだ。
だがしかし、幼年期の終わりの素っ頓狂さとは
∧∧
( ‥)幼年期の終わりを
ヨハネの黙示録と考えれば
あれはありかもね
(‥ )神の御使いに
選ばれた人々が生き残って
永遠の国を与えられ
他の人間はすべて地獄に
落とされる
キリスト教的な世界観では
あれはありなんだろうな
∧∧
(‥ )でもシンジ君は還ってきて
\‐ しまうのですよ
(‥ )あのまま
還ってこなかったら
幼年期とは正反対
エヴァンゲリオンは
傑作どころか
気持ちいいことに流されて
あきらめた
安易な物語と位置づけられて
終わったかもな
∧∧
(‥ )それこそ昔、私説博物誌で
\‐ 筒井康隆さんが
幼年期の終わりは安易と
書いていたと思いますが
(‥ )元ネタである
ヨハネの黙示録が
そもそも安易だろ?
神の国なんか
実際にはきやしない
人間は永久にこの現世で
苦闘しなければならない
これが現実
だけどその現実から
逃げられると言い出したのが
ヨハネの黙示録だ
逃げ出せたらいいなーが
幼年期の終わり
反対に
逃げちゃ駄目だで
還ってきたのが
シンジ君とエヴァンゲリオン
そういうことだべさ
∧∧
(‥ )でもエヴァンゲリオンも
\‐ どうなっちゃうんでしょうね?
(‥ )普通の英雄譚なら
シンジ君は父親を越えて
綾波レイかアスカを
お姫様として手に入れて
ゼーレを滅ぼし
世界を手に入れて
取りあえずハッピーエンド
∧∧
( ‥)...そしてその続編で
シンジ君は全てを失って
一人、世界から去るだろう
それが通常の英雄譚ですか
(‥ )古今東西
英雄とはそういうものだ
それ以外の生き方は
認められていないし
それ以外の死に方も
認められていない
例え死んでも
墓から掘り出されて
英雄的な死を強制される
そうなるまで、何度でも墓から掘り返される。それが英雄の運命。それが民衆の意思。
∧∧
(‥ )
\‐ 新劇場版の”破”で
シンジ君は英雄に近づいたけど
続編のQで
突然、理不尽な扱いを
受けたわけですよね?
これ
英雄として死ねるんですか?
(‥ )英雄として死ねなきゃ
完結したとしても
また墓から掘り起こされて
しまうと思うけど
∧∧
( ‥)最終話いかんによっては
また劇場版シリーズを
作る羽目になるのか?
(‥ )あるいは
テレビシリーズかな
可能性は0ではないよね
そしてカヲル君が再び
今度こそ
と言うわけだよ
英雄とは、呪いである。正式な手続きを踏まないと死ぬ権利すらない。