2015年12月11日金曜日
吹き込まれた後付け解釈を自分の記憶だと勘違いしているだろう?
季節外れの暖かい空気が流れ込むと、大気は不安定化する。
強い風が吹き続け、そして夕暮れが終わると、空は奇妙に明るかった。
時々妙に明るい夜が
あるよね
∧∧ なぜだろうね
( ‥)
‐( ‥)さあ
なんだろうな?
例えば、真夜中で周囲に明かりが無い場所でも、色が分かる時があるかと思えば、真っ暗で分からない場合もある。
雲があると町の灯りが反射するから。それはそうなのだが、しかしそれだけでは顕著な差が説明できないように思われる。もしかしたら、雨の後で大気の透明度が良いと、雲に反射した光がはっきりと、減衰せずに届く。それもあらゆる方角から。かくて世界は明るく見える。そういう理屈であろうか?
ちなみに、画像で遠く明るいのは東京方面だ。
20時現在でも温度は19度もある。湿度は50%
さて
先日亡くなったその文化人は、今の日本は戦前と良く似ている! と言っていたという。
∧∧
(‥ )この人...
\‐ 太平洋戦争勃発時でさえも
11歳のはずだけどね..
(‥ )今で言う小学5年生だな
ただのガキンチョだ
一体全体、その歳で政治や政策や実務や現実の何が分かっていたというのだろう?
例えば自分で考えてみる。
自分が小学校5年生の時。1980年。その雰囲気とはなんであったか?
∧∧
(‥ )あなたの実家の近所では
\‐ 廃工場や
倒産して雑草にうもれた
木材加工工場が
あったんだよね?
(‥ )オイルショックの時に
倒産したっぽいけど
それ以上のことは
分からん
良く忍び込んで遊んだよ
引っ越してきた
近所の悪ガキが
マッチで遊んでボヤを
起こしてな
消防が消し止めた後
野次馬たちの前で
親に何発も
ぶん殴られてたな
あー
とか
げーとか
泣きわめいてたよ
なんか見てておもろかった
もっとも親も親で、見た目はチンピラ、顔は整った作りだが、黒シャツ、口ヒゲ、眼鏡、パンチパーマ...というかアフロじゃね? というぐらいボリュームのある髪型。そして父子家庭であった。
後は、ノストラダムスの大予言が人気で、それは核ミサイルが飛んでくるのではないか? という漠然とした不安と表裏一体だったのは覚えている。
それとイランで何かあったこと(イラン革命)。そしてイランにあるアメリカの大使館が占拠され、その奪還にアメリカが失敗したこと。新聞で見たヘリの残骸。物心ついた時に初めて覚えたアメリカ大統領、ジミー・カーターがレーガンに破れ、無念と目を閉じた写真。
∧∧
(‥ )でもそれだけだよね
\‐
(‥ )ああそれだけ
子供の理解とはこんな表層的なものにすぎぬ。いや、これは理解ですらない。ただの断片的な知識だ。
こんな程度の子供の記憶と世界観で、今は戦前と似ている! と言い出したのだとしたら...
∧∧
( ‥)まあそのなんだ
ボケちゃってる?
(‥ )あからさまに
ボケてるだろ?
考えてみれば、そんなことばかりではなかったか?
例えば原発がパーンした時、原発をばんばん建てたのは電力業界の陰謀だ! とかおっさんたちは言い出したが、
いやいやあなたたち、石油ショック後、電力の安定供給のために原発を建てた事を忘れちゃったの? たった30年、40年前じゃんかよ。
∧∧
(‥ )忘れていたんだね
\‐ まるで何もかもが
健忘症のようである
(‥ )たった30年でこれだ
ましてや
戦前なんて75年だよ?
戦前がうんぬんとか
もっともらしく言う
連中の言葉なんか
信用できないね
軍部が暴走したとかいうけども、本当か?
仮にそうだとしてもお前たちはそうは感じていなかっただろ?
後付けで誰かに解釈を吹き込まれただろ?
誰に何をいつ吹き込まれたんだよ?
これはまるで「1984年」のようである。
ひとつひとつの出来事はリアルなのだ。例えば主人公は、自分の少年時代、第三次世界大戦後の混乱期を思い出せる。物資はなにもかも欠乏していて、壊れた道路をトラックが通る時、荷台からこぼれる油かすを狙って食べたのだ。
だがしかし、こういうことは覚えているのに、自分たちは誰と戦ったのか、当時の味方は誰であったのか、どんな原理が世界を動かしているのか、そういうことは全然覚えていない。
なにもかもが健忘症にかかったかのような世界。
∧∧
(‥ )小説家バージェスさんは
\‐ 「1984年」の
ああいう雰囲気を
ファンタジーと評しましたけど
(‥ )多分なあ
そうじゃないんだ
あの健忘症的な世界こそが
現実なんだよ
そして
その健忘症的な隙間を
埋めたのが
ビッグブラザーなのだ
人々はブッグブラザーの
解釈を通して記憶を
再構成している
そしてこれは
普通のことなのだな
人間は仕組みを理解しているわけではない。表面的な事実を断片的に覚えていて、それを後付けで、誰かに吹き込まれた解釈に基づいて勝手に構成しているだけだ。
そしてそれを、さも自分で作ったかのように信じたのである。つまり、これはまやかしだ。
以上を考えると、戦前はうんぬんだとか、昔はこうだったとか、今は戦前に似ているとか、そんな見解は信用できるものではない。
じじい共は健忘症にかかっていて、後付けで吹き込まれた解釈を自分の記憶だと勘違いしておる。