2015年11月13日金曜日
ほめて伸ばして煽る
以前、ある掲示板で一人の男が自説を吹聴し始めた。彼は非常に思い込みの激しい男であるらしかった。
自分は研究者たちが見落としている重大な欠陥を見つけた。この欠陥を考慮して考えた俺の説はこれである。これこそが正しい説だ!!
残念ながら彼が見つけた”欠陥”とは、まったくの勘違いであった。鳥やあるいはネコを飼っている人なら誰でもすぐ分かるような勘違いだ。
しかし勘違いと言えども、本人にとってそれは真実。
彼は自説を吹聴し、熱心に説明し、それに疑問を唱える人を口汚くののしり、賛成する人に喜んだ。
∧∧
(‥ )でもこの話の
\‐ 悪質なところって
実はここじゃないんだよね
(‥ )あの掲示板はなあ
院生とかも見て
書き込んでいるんだよ
ある人は、お前は心の病だからここに電話しなさい、ということを遠回しに書いた。
男は当然無視した。そもそも皮肉の意味を理解していなかったのかもしれない。
だがある人は、いかにも賛成するかのように書いた。
∧∧
(‥ )間違いにすぐ気がつく人
\‐ なのにねえ
(‥ )煽りってのは
挑発して怒らせるだけじゃ
ないんだよな
ほめて伸ばすという
手もある
その後、その男はHPを開設し、自説の主張を続けたが、それからどうなったのかは知らない。意味も無く人生を消耗したのは確かではあるが。
∧∧
(‥ )あなたもここが間違いですよ
\‐ 自分の指を見れば
分かるでしょ?
とは書かなかったよね
(‥ )書く義理も無いし
その方がおもろいしな
人間がまったくの勘違いに邁進して、無駄に人生を消耗してしまう有り様には感動的なものがある。
∧∧
( ‥)感動ねえ
(‥ )心が動くというのは
すべからく感動的って
ことだろ?
そういう表現をする
本だってよくあるぜ
だがこれは教訓的でもある。
世の中の人は自分を信じろ、他人を信じろと言う。
それは間違いだ。
自分を信じるな。自分を信じないのなら他人ごとき、信じるに値せず。
∧∧
(‥ )実際には信じる信じないと
\‐ 物事の是非は関係ないけどね
(‥ )だったら信じる必要は無い
そういうことだ
だって、信心は結論の是非や真偽と関係ないんだから。
そしてこんなことは誰でも学生生活で思い知らされたことである。信じて丸をつけたとて、それが間違いであるか間違いでないか、結果は信心と関係なく決定される。
自分を信じるなど、いつからお前は自分をご本尊に新興宗教をおっぱじめたのであろうか?
信じる信じないは現実と関係ない。
そうである以上、信じる必要などどこにも無い。
信じる事は信じることと関係ない。
これが、論証されるべきことであった。