2015年9月18日金曜日
論理的に言うと論理は偏見を導くだけである
論理により大前提から答えを導きだす。
∧∧
(‥ )でもこの答えは
\− 実のところ大前提に
あらかじめ含まれていた
ものなのだよね
(‥ )平行線は交わらない
その大前提から
三角形の内角の和は
180度である
という答えが出てくるが
実のところそれは
平行線は交わらないという
大前提にもともと
含まれていたものなのだ
では実際のところ平行線を延長した時、それは交わるのであろうか? あるいは否であろうか? それは神のみぞ知ることであろうし、状況によっても変わる。
∧∧
( ‥)僕らの身近な世界では
平行線は交わらないから
交わらないってことにして
話を進めると
三角形の内角の和は2直角
現在でいうところの
その和は180度
この結論が出てくる
それだけの話
( ‥)だけどプラトンは
−/ こうした数学の証明に
霊感を受けて
これぞイデアという
真理へ至る道なのだ!
そう言う風に盛大に
勘違いしたのだよな
どう考えても頭がいかれているとしか思えない発想なんだが、まあ、このトンデモ論理は別にプラトンに限らない。そもそも古代ギリシャの数学は数道というべきものであって、その始まりのピタゴラスからして宗教として創始している。古代ギリシャ数学とその論理的な思考の根幹にあったのは、実のところただの胡散臭い思い込みなのだ。
∧∧
(‥ )でもプラトンさんが
\− 熱中したように
古来より多くの論理主義者が
論理を真実へ至る道と
信奉したのであると
(‥ )実際のところ
論理は真偽に関して
沈黙しているのだがな
論理は
大前提に含まれている
ものはこれですよ
と示してくれる
だけども
大前提の真偽については
何も語らない
論理は、平行線が交わるかどうかについて一切語らない。
論理が語るのは、平行線を無限延長しても交わらないとした場合、三角形の内角の和は180度である、と申し述べるだけである。
だが、論理主義者はこの論理の働きを誤解した。
論理こそが真理へ至る道だと非論理的な発想の飛躍を行ったのである。
そうして論理主義者は非論理の極みである飛躍にしがみついた。
大前提を論理的に演繹すれば、必ず真理に至るのであると。
∧∧
( ‥)でも悲しいかな
大前提とは
人間の認識でしかなく
大前提が真か偽か?
その肝心の部分はまったく
保証されていない
(‥ )論理主義者が
やっていることは
自分の偏見や思い込みを
大前提にして
それを
論理にかけることで
大前提があらかじめ
内包していた偏見を
”真理”として
発見しているだけ
なんだよね
プラトン以来、マルクスやその後継者に至るまで、論理主義者とはいつもそうであった。彼らは自分の偏見から偏見を導きだし、それが真理であると勘違いする。
彼らがそう思い込むのは、論理が真理を導きだす魔法の道具であると、非論理的な勘違いをしているせいである。
しかし己の偏見を真理であると誤解できるほど単純な論理主義者はこの過ちに気がつくことは無かった。考えれば考えるほど彼らは自分の偏見と認識を無謬のものと勘違いし、その行動はより暴力的なものへと変化していった。