2015年6月8日月曜日
読書家は、芋のツルを見て、これは芋じゃないと言いよる
読書していることを自慢しているのだが、彼が参考文献を読んでいないことは明らかであった。
∧∧
(‥ )読書という言葉は
\‐ 所詮はそんな程度なので
あると
(‥ )子供時代に読んだ本の
たった一節
子供向けに書かれた本の
わずかな記述
それを手がかりに
英語で検索をかけて
元論文を探し当てて
確認を取る
今はそれが誰でも出来る時代だ。だがしない。
そもそも著者が本を書く場合、彼らは何か背景があって書いているのだ。何気ない一言の裏側に複数の論文が隠されている場合もある。
それゆえ、ほんのわずかな証拠でも良い。膨大な活字の中の一言、たったそれだけでも十分に手がかりになりうる。これは道理にして事実なり。
それを踏まえて考えれば
読んだだけで本を論ずる。なんだこんな本、くだらない、そう言って手がかりのある本を切り捨て、参考文献を買うこともせずに読書家をきどっている連中ときたら、まったくもって...
∧∧
( ‥)馬鹿?
(‥ )馬鹿?
確かに馬鹿だな
だがそれ以前にだな
能力も
本に向き合う姿勢も
あまりにも劣っておる
というか劣り過ぎだ
馬鹿以前の問題よ
頭の姿勢が間違っとる
つまるところ、読書家という連中はあまりにも本をなめすぎなのだ。ほんのたった一節でも、一行でも良い、それが重大な手がかりになることを彼らは知らぬ。知らぬということは、そういう手がかりから突破口を開いたことを示し、論ずる本すら読んでいない、そういうことだ。これは明白である。あまりにも頭が節穴だ。
∧∧
(‥ )愚劣?
\‐
(‥ )まあ一言で言うと
愚劣愚昧劣等なんだけど
言い換えてしまえば
読書家と読書の正体とは
ここにある
そういうことだな
つまり読書とは、俺様は必要もないのにこれだけの活字を仕事の合間に無駄に読むことができる能力をもっています、そういう無駄自慢であって、何かを探しているわけではない、それは理解の累積でも探索でもない。ただの無駄の累積だ。無駄の累積はどれだけ重ねてもただの無駄だ。
∧∧
( ‥)読書はただの無駄自慢
(‥ )それじゃあ
どこにも
いけないのだがな
奴らはそれで
良しとしよる
それゆえ諸君、読書をしたから偉いとか、読書をしたから賢いとか、そういう無知蒙昧を信じてはいけない。
そもそも芋探しもしないままに、芋のツルを見て、これは芋じゃない、くだらないなどというのが読書家の正体だ。
本を読む者、呪われて地獄の業火に焼かれるべし。読書家とは許されざる罪である。