2015年5月13日水曜日
やるべき無存在があります
資料に眼を通していたら眠くなった。そうして起きてみると、雨は止んでいた。
=>hilihiliのhilihili: 台風6号ノウル接近
∧∧
(‥ )温帯低気圧になった
\‐ 台風6号は関東を去って
今は東北近辺を
移動中みたいだね
(‥ )ここらの嵐のピークは
12日の22時から
23時の間だった
みたいだな
室内は25度で湿度74%だったのだが、外に出れば息がつまるような湿気である。
測ってみれば気温20度、湿度100%だ。
*この時は風がなかったのだが、その後になって風が吹き始めた。03:37に温度を測ると気温は20度のままだが、湿度は74%にまで下がった。
さて
英語は論理的な言葉なんだよ。
そう言う人は多い。
∧∧
(‥ )日本語のような助詞が無く
\‐ ドイツ語のように
der des dem den
のような冠詞と活用もなく
主語、動詞、目的語と
順番も決まっている
それだけの話では?
(‥ )まあそれを論理的と
言えばそうかもだが
人間なんだから
むしろ
単なる慣用句に
なっている部分も
多いだろうな
例えば、英語は主体的な言語で必ず主語があります。だから西欧人は個が確立しているのでーす、とかいう最もらしい主張も、単に英語人は、”こう思いますよ”と言う時には”I think”と表現するのが習慣なのでそうしている、それはただの慣用句で、そこに深い意味などないのかもしれない。
∧∧
(‥ )iとつけなきゃいけない
\‐ ことによる影響は
無い訳じゃ
無いのでしょうけどね
そこだけ見るのは
過大評価じゃね?
ということですか
(‥ )胡散臭い話は
他にもあるんだ
例えば以前見た主張。
インド人は哲学的なんですよ。彼らは、机の上に無がある、という言い方で、”そこにそれが無い”、を表現するんです!!
外国人に言わせると日本語は、無さ過ぎる、とか難解な表現が出てくるおかしな言語だそうだ。
∧∧
( ‥)無いがある
無いが多すぎる
同じような表現なのに
片方はインド人の哲学性を
そこに見いだし
片方は日本語の特殊性を
そこに見いだしていると
(‥ )インド人や日本語どころか
英語でもこういう表現は
あるよね
There is nothing to be done.
直訳すれば、
やるべき無存在があります
∧∧
(‥ )意訳すれば
\‐ やることねー
なんだけどね
表現の形式は
”無さ過ぎる”と同じだね
(‥ )つまり普通の表現なんだよ
ここから分かるのはだ
人間は
慣用句的に物事を
考えていて
論理的に言語を
把握しているわけではない
そういうことだよな?
確かに元の意味は論理的なのだ。
無が机の上にある
無いがあまりにも多い
やるべき無存在があります
本来は論理的にどれも出来ている
∧∧
( ‥)だけど実際には
慣用句的に使っているだけで
自分たちの日常言語が持つ
構造に関しては
人々は無自覚である
(‥ )少なくとも母言語に
関してはそうなんだ
反対に言えば、母語でない言葉に触れると、その論理構造に直に接触してしまうためにカルチャーショックを受けて、それを天啓として訳の分からん言説を思いついたり、意味の無い文化論を論じたり、あるいはありもしない価値を語り始める、それだけの話ではないのか?
∧∧
(‥ )思いつきを後付けで補強して
\‐ ありもしない文化論を
もったいぶって作り出す
でもこれって
人間の思考法の基礎だし
物書きの文章作成術でも
あるよね
(‥ )つまりは
文化人の言うことなんか
真に受けちゃ駄目って
ことさね
あいつらは
もったいぶった嘘しか
言わないぞ
物書きだの文化人だの、思いつきのデマカセを後付けで、もっともらしく見せているだけである。