2015年5月28日木曜日
合理主義者はどぎついまでに不純である
飛行機で規定ルートを通過する速さを競うエアレース
∧∧
(‥ )日本でも開催されたの
\‐ だよね
(‥ )画像は見たことあるけど
ああいう飛行術は
印象的で華麗だよな
もちろん、すべての人がそう受け取るわけではない。
∧∧
(‥ )なんで危険なことするの?
\‐ 僕には分からない
そう訴える人もいるね
(‥ )危険だからするんだろ?
人間の存在はそのすべてが無駄である。否、無駄であるからこそ人間なのだ。
そして無駄の真骨頂とは危険で難しいことにあえて挑むことなり。
危険で難しいことを華麗にこなすが人類の最高峰たるはしごく当然。
∧∧
(‥ )危険だから怖くて
\‐ 見ていられないって人も
いるだろうね
(‥ )反対に危ないから
わくわくして見ている奴も
いるはずだがな
∧∧
(‥ )でも人によっては分からない
\‐ 分からないって言う
おかしいよ
こんなのおかしいよ
そう連呼する
(‥ )認識したくない
それは
そやつに取って
認識することが脅威だ
そういうことだよね
∧∧
( ‥)うがった見方をすれば?
(‥ )自分に出来ないことが
評価されている
それは自分が
否定されることである
自分が格下と
順位付けられることである
彼はそれを
脅威と感じている
そんなところじゃねえか?
∧∧
(‥ )まさにうがった見方だね
\‐
(‥ )合理主義者ってのは
人間の非合理性を
認められない
くるくるパーだから
その程度の評価で
良いと思うけどね
いくら合理性を装っても、人間なのだ。合理の言葉の下に広がるのは不合理である。それにも関わらず、人間の不合理に基づいたコンテストを認められず、合理性を持ち出してコンテストと評価を貶めようとする。だとしたら、合理主義者が吹聴する合理性の動機とは、どぎついまでに不純であろう。