2015年3月21日土曜日
90点とは1割が間違っていることである
テストで90点を取ったとする。
∧∧
(‥ )100項目のうち
\‐ 9割が正解だね
(‥ )でも間違いが
1割も混ざっておる
もちろん、90点とは良い点数だとされるものである
∧∧
( ‥)1割間違っていても
優秀とされる
しかし
優秀であっても
1割は間違っている
そういうことである
(‥ )知識や理解の1割が
間違っている
これは大変なことだよ
しかも90点でこの有り様である。もっと低い点が普通であるならば、間違いはさらに多いということになる。
だとすれば、もっと普通のことでも、私たちの知識や理解にはおびただしい間違いが混ざっていることになるだろう。私たちの知識や理解の4割、5割は間違いではなかろうか?
∧∧
( ‥)それを考えると
あなたたちがやってることは
めちゃくちゃだよね
(‥ )部品のかなりの部分が
欠陥品や見当外れ
針金をネジだと
思って使ってるし
配線も適当
意味不明な付かない電球
そんな感じで
だましだまし
やっているんだろうな
もちろん、同じことを何度も繰り返せば、点数を99点にすることもできるであろう。
∧∧
(‥ )でもそこまで反復しても
\‐ 1パーセントは間違いだ
そういうことになるよね
(‥ )しかも同じことを
反復し続けてこれだ
これをどう考えるべきであろうか?
テストが無いと人間は自らの間違いを認識できない。
テストがもはやない大人は、それゆえに自信過剰に人生訓を語るのであろうか?
あるいは反復して99点を取る事で、人は無意味に自信家になるであろうか? 確信を持つようになるであろうか? だから反復し続けた狭い世界の、どうでも良いような人生訓を自信満々に語るのであろうか?
∧∧
( ‥)でもそれは
その場から一歩出たら
まったく通用しないのである
(‥ )自分が99点取れない
外の世界を
熱心に否定する奴は
多いよなあ
あるいはこう考えることもできるであろう。
90点どころか、60点、つまり4割が間違いの状態でも、それを組み立てて理解を成立させ、だましだまし仕事をこなしてきた。
もちろんそれは卓越した技量などではないだろう。実際にはただの言い訳や、その場限りの言い訳、あるいは下請けや部下への責任転嫁であろう。
∧∧
(‥ )でもそういう人は
\‐ それでうまくやれたと
思っているから
それでうまくいくはずだ
そう確信するだろうね
(‥ )プログラムとか
すぐ出来るだろ?
そう言い放つ人がいるのは
本人がいい加減なのに
それでも
人生が成立できたから
なのだろうな
間違った部品が4割も混ざっているのに、何となく人生を成立させることが出来たのである。この世界にはもっと厳密な設計を要求される場があるとは理解できまい。