人間の推論過程のほとんどは論理では正当化できない。
人間のやっていることは思いつきを後付けでもっともらしく見せることであり、そうでなければ生きていくことすらできない。
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( ‥)最初に思いつきありきで
理屈は後付け
ということは...
(‥ )自分の思いつきと違う
思いつきは
全て非論理的に見える
そういうことだろうな
どれほど論証の過程が正しくても、どれだけ検証されていても、それでもなお、その答えが自分の思いつきと異なっている場合、人間はそれを非論理的であると見なすだろう。
答えが先で、理屈は後、ということは、答えに違和感を持てば、答えが間違っているのだから理屈もすべて間違っている。そう考えるだろう。これは当然と言えば当然。
おそらくこれは、人間の行動のかなりの部分、あるいはどうにも意思の疎通が出来ない場合があるのはなぜなのか? それを説明してくれる。