2014年12月6日土曜日
論理的であるとは脳が示す逃げ
∧∧
(‥ ) 結局、三角法が
\‐ 発達し始めるのは
プラトンやアリストテレスが
活躍した
ポリス全盛から衰退期よりも
さらに後の時代なんだよね
(‥ )三角法は
実際の観測から
月や地球の大きさや
距離の比
天体の運行を測定する
そういう過程で
編み出された数学だよね
こういうことをプラトンとかはやっていない。
確かに萌芽は当時からあっただろうし、空を見上げて星が見える、星が動く、さらに配置が変らない星座の星だけでなく、その間を惑う星、つまり惑星がある、そういうことは彼らも見たし、そして知っていた。
実際、実のところこれだけでも大したものなのである。現代人の多くは、惑星が1日の間に東から西へ天空を一回りする一方で、西から東へ独自の運行をしているとは自覚していない。
∧∧
( ‥)でも新たな数学は
空を観測することから
始まった
やっぱり物を見るのが大事だ
そういうことだよね
( ‥)確かに数学は時代に先んじて
‐□ 科学に必要な数学を
あらかじめ残しておくものだ
だから証明を果てしなく
繰り返す行動、それ自体を
全否定することはできない
だが、自明の公理から証明によって真理に近づける。そう考えたプラトンの先に、一体、どんな可能性があっただろう?
例えばプラトンは無理数を否定し、その存在を空疎化しようとしている。
∧∧
(‥ )証明も数論もたしなんだけど
\‐ 数の比で表わす事が
出来ない無理数を
彼は否定出来ないが
その価値を薄めようと試みた
(‥ )無理数はギリシャ語だと
非論理的、だよね
まさに理無き数字
これを考えると
プラトンのやったことは
暗示的だよ
分かりやすい真理に逃げ込んだのであろう?
真理のために証明をおろそかにしたであろう?
どこまでいっても割り切れない数字という存在に恐怖して、それから逃げたのであろう?
論理的である、それだけを追求して物事から目をそらしたのであろう?
真理ではなく、論理を真理にして、証明を論理に合わせたであろう?
ポリス時代のギリシャ人には古代メソポタミア人がやったような、実際の計算というのがまるで見えてこない。メソポタミア人などが、円周率の近似値を出して計算したような、そういうものが見えてこない。
∧∧
( ‥)そもそも無理数とかそういう
得体の知れない数字から
逃げるために
幾何学と証明に走った
そういう解釈もあるみたい
だよね
(‥ )√2は数字で示せば1.414....
だけども
幾何学では正方形の
対角線ですむからな
プラトンの言う、論理だ真理だ、これは実際には数学ではなく、ただの逃げではなかったか? それこそが彼らの言う哲学ではなかったか? 知恵を愛するとは、こんなものでしかなかった。そういうことではなかったか?
わずかな根拠不明な前提と、そこから導いた膨大ではあるが、実際にはごく初歩的な幾何学の定理、これを満足げに見回して、無理数とか、自分からみれば都合の悪いものには蓋をしただけではなかったか? 恐ろしい現実から逃げて、実際の観測に至らなかったから、計算も未熟に終わったのではなかったか?
多分、現代人にもこれと同じことをしている者たちが、大勢いるであろう
∧∧
(‥ )それが例えば
\‐ ロジカルシンキングであり
あるいは自分に都合の良い本を
次々に読み食べていく人であり
あるいは、これは論理的だと
トンデモ仮説に飛びつく
ライターであったり
あるいはその支持者である
(‥ )プラトンの子孫は
ずっと我々と共にあり
彼らはいつも
同じことをするのだ
多分、マルクスもそうであったし、そしてグールドもそうであっただろう。
そしていつもいつも同じ者が現れる。それも数こそ多くないが、確実にある割合で現れる。そしていつも、まるで彼らが全員同じ人物であるかのように類似した行動を反復する。いつもいつも同じ。これが意味することは明白だ。
∧∧
( ‥)これ遺伝的に決定されている
神経の構造かなんかに
由来している現象だよね
(‥ )一番単純で即物的な説明は
それだろうな
これは人間の脳が示す
あるひとつの
極端な形なのだ
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